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はじまり3 2006年の出来事 意識の変化


「まだ気づいてない!」

その声は1日中、私を襲ってきました。 

消したくても消せない声。 


声と一緒に
5つの文字が輪となり、
私の頭の中を ぐるぐると周りだす。 

その文字のなかで 一際目立つ形で浮かんでいる  言葉。 

それが自分の魂の記憶を指しを示していることは、
理性とは裏腹に 感覚は理解している。 

感覚が理解していることを 必死で否定する理性の働き


 

それから一週間。 

症状はどんどん悪化してゆきました。


「私のこの現状を好ましく思っていない 姿形のない無数の視線」
も相変わらず私を狙っている状態でした。

反面
その視線から 必死で私の存在を守る(隠す)
存在たち。

守りながら  必死にも感じるこえる声。
 
「きづけ。ちゃんとみろ。」

頭の中には ぐるぐると回る文字が離れないまま。 

この状態から脱しようと外側に意識を向けるも、感覚は鋭くなるばかり。

〃そんなはずはない〃 

ひたすらそう自分に 言い聞かせ続けました。 


でもいくら言い聞かせても、消えるどころかはっきり現れてくる。

 


そんな状態が10日も続く頃、
理性で反発し続けることに少しだけ疲れた私は
頭の中でぐるぐる回り続ける文字に関連する本を読んでみようと、
一冊購入しました。 


でも、読むことはできませんでした。


自宅に届けられた1冊のその本の1ページめを開く間もなく

 「教義することに意味はない。表面上をみて論ずることに何の意味もない。」 


との声が響いてきたのです。
(「そこに真実はない」と伝えてくる) 


そこから まってましたかのように、
私の理性がほんの少しだけ弱まった瞬間を見逃すまいとでもいうように
雪崩が襲ってきたかのような勢いで 
声は次から次とたくさんのことを
私に伝えてくるようになりました。
 

「我々は長い時間をかけ周到な準備をしてきた。
過去の過ちを繰り返してはならない。」


私にはちんぷんかんぷんでした。
 
なにを言ってるのか、 

なんのことなのかさっぱりわかりませんでした。

ただひとつだけ確かだったのは、
いつもその声の伝えてくる内容物に
<納得の喜び>
を私の胸は感じているということでした。


想像すらしたことのない内容に
理性もまた一段と強く活動しだしたのに、
胸は非情にも 納得と喜びという反応を示す。


おまけに ひとつを聞くと3つ4つと同時に理解してゆく
自分のなかの現象。


ばらばらのピースを
ぴったりと当てはめられてしまう自分。

単に<ちんぷんかんぷん>だけであったなら、
私はこれ程に混乱しなかったでしょう。
否定して終わりにできるから。


でもあの時は、
否定する自分と同時に
深い納得の喜びを感じている自分もいた。


だからひどく混乱したのです。


だからこそ、さらに必死に抵抗したのです。


感覚と、思考の戦い。

私の思考はこの現象を分裂症の兆候、と言う。
私は理性を優先させました。


聞こえ続ける声を 必死で消そうとしました。


でも止むことはなく、


それは地球の歴史やら 


霊的視点からみた自然災害のことやら

 
数百年前から世界各地で起きてきた霊的現象・・・ 


それらがどんな意味で行われてきたのか、

 
なぜ必要だったのか ・・・

とにかく毎日毎日ひたすら聞こえてくる。 


 
想像したこともないことが次から次へ聞こえ 感じるこの現象を、


<納得><恐怖>
相反する2つの強い感情で 接しなくてはなりませんでした。
 

 

消えることのないはっきりと現れる文字もまた同様。 
どんなに感覚は確かなものであっても、
文字に身を任せることはできませんでした。

受け入れたら最後。 

自分が壊れる前に、なんとかその兆候を消し止めようと もがく。 


〃ただの普通の主婦なのに。ありふれた人間のひとりでしかないのに〃

 
そう自分に言い聞かせ続けました。 


するとこの言葉に対して声が答えてくる

「ただの一人間だからだ。
 我々も学んだ。
 過去と同じ過ちを繰り返してはならない。」

<過去>とは、イエス、釈迦といった人物のこと。
<過ち>とは、人々が特定の人物を神仏化・特別化してしまい、
そうした人物が存在した本来の目的から
やがてはかけ離れ 湾曲してしまったこと。


「 たくさんの者がまだ眠っている。
 その必要性があったからだ。
 ・・・・省略・・・
 これを排他的な、組織的な活動にしてはいけない。」
 
言葉はそう続いてきました。 

でもどんなに説明をされたらされたとて 受け入れられない。


でもどんなに受け入れられないと思っていても、


私の感覚は全く別の反応を勝手にしている。 


おまけに声は、1人じゃなく2人、3人と増え、
私の理性は 分裂症→多重人格者と判断し、
徐々に私は 家に塞ぎこむようになってゆきました。 


そんなある日のことでした。
 
気を紛らわそうと 昔読んだ本を引っ張り出し
読んでいた時のことです。

私の体が、ものすごい熱さで燃えるかのように内側から発光しだしました。 
それはものすごい勢いで私を襲い、
内側からの焼け付くような熱さと 体内の発光の眩しさに、
焦点は定まらず手元もおぼつかなくなり、
私はなにもできないままに横になりました。


体はどんどん真っ白に発光し、意識も朦朧状態。
どうすることもできない。 

しばらくそれが続いた後、 ふっと軽くなりました。 

自分を見ると、 
さっきまでとは違う服を着、丘の上に立っている。 

とても古い時代


・・・前を見ると。 



その光景を見た途端、
一気に私は私でなくなり
その女性そのものの感情、肉体へ なっていました。 


・・・・・中略・・・・

・・・

・・・ 

どれ程の時間が過ぎたのか。 
本を片手に横たわっている 見慣れた部屋と自分の感覚に
少しずつ戻ってゆきました。

・・・
 
これが 体験のはじまりとなりました

声だけでなく 感覚だけでなく 体験までもが
この後の私を 襲うようになったのです。 
 

つづく

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