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はじまり4 2006年の出来事~意識の変化~

体が燃えるように熱くなり発光する 
という体験は、私にとても大きな影響を与えました。 


その体験後、 
その時そのままに体験した女性は、 
私の中に不思議と 
いつも存在もするようにもなりました。 


こうした体験は、その後数回起きました。
それは・・・なんていうかこう・・・体験そのままがゆえに、
拒絶する、疑問を抱く隙もなく入っているものとなりました。

そして経験と共に、私の胸のなかにはふたり・・3人と存在する人が増えてゆきました。


かと思えば、いくつもの姿異なる(各次元の)自分の姿が強烈に現われることもありました。

またある時は、鏡に映る自分の肩越しに文字が発光して現れることもありました。

ほかにも、
地球と体が一体化してしまう感覚、
自分の臓器と太陽系の星達が一体化ししている強烈な感覚、
かと思いきや銀河系とも一体化している、宇宙そのものの感覚

・・・そうした強烈な感覚が襲ってきました。


すべてはちぐはぐでひっちゃかめっちゃかで、
一貫性のない形で現れてきました。

声に関しては、相も変わらず拒否反応をしていました。 


混乱は毎日続いていました。


年が明けたらこの悪夢も変わるかもしれない・・・と、
年が明けることに希望を抱いてもいました。


けれども皮肉なことに、そうした中で私の日常生活には確実に少しずつ変化が起こりはじめてもきたのです。
 

それは、外側的ななにかという形ではなく、内側的な変化としてやってきました。
 
そのなかのひとつが、一日の節目節目の、ごく自然的な祈りです。
一日の流れのなかの節目節目に、手を合わせる行為が流れでるようにもなっていました。  


胸の前で手を合わせるという行為は、
内なる神に祈りを捧げる行為であり、
内なる神に誠意を示す行為であり、
内なる神に敬意を注ぐ行為であり、
内なる神に慈しみを与える行為であり、
内なる神に信頼を示す行為であり、
内なる神と繋がりコミュニケーションする行為である。

内なる神、宇宙・全生命を通して、私達は外なる神、宇宙・全生命・存在を敬う。
内なる神、宇宙・全生命を通じて、私達は相手の内なる神、宇宙・全生命・存在を敬い尊重する。
私は知っている。
だから私は 胸の前で手を合わせる。
 
私のなかの存在のひとりが、そう教えてくれました。


神という言葉はあまり使いたくない言葉なのですが、ほかに当てはまるいい言葉が思い浮かばないので使わせてもらいました。
が、私が言うところの<神>という表現は
<全生命の根源・そのもの・本質>という意味です。
特定のなにか・誰か、固形・名称、どこか・ではありません。
また、私は特定の宗教に属しているわけでもありません。

年が明けて、 
2007年のお正月……。 


私の期待とは裏腹に、 
声が消えることはありませんでした。 


消えるどころか 

「これからは愛の時代がくる。
扉を開くように。
心の扉を開いて受け入れてゆくように」

と伝えてくるようになりました。

私は、無視することに徹底しました。

聞こえてくるものすべてを無視し、一切の反応を見せないことにしたのです。

やがて、それは効果を見せ始めました。

声は少しずつ 遠のいてゆきました。



けれどもそれと引き換えに、新たなことが始まったのです。


それが、第三者を通した<言葉掛け>でした。

第三者を通した言葉掛けは、さまざまな形で連日のようにやってきました。

たとえばひとりで道を歩いている最中だったり、
買い物中ひとりであったりする時、
突然誰かから声を掛けられるのです。

そんな時、決まって相手の人はやや苦しそうに話し掛けてきます。

「そんなに嫌われたら困る。
 約束をしたんだよ。」


「思考じゃなく心で受け止めてみるといい。
 そうすれば、悩む必要なんてないとわかるだろう?」


「きみが誕生してからずっとみてきた。
 きみがこんなに大きくなったのが、とても嬉しい。」


「疑うことは必要だから身につけた。疑う必要性があったから。」


「そこまで頑なに拒否されると困る」


声を掛けてくる見知らぬ人は、いつもなんの前触れもなく一言二言苦しそうに途切れ途切れ言い、
向こうへ行ってしまいます。

その度に私は 誰かと勘違いされているのだろう・・・と自分へ言い聞かせました。


そんなある日、特に目的もなく本屋へ行きました。


そして
そこで、


私は<無視>に終止符を打つことになる出来事へと


出逢うことになったのです。


  つづく

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