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子どもが自分の人生を生きようとする時

約2年のひとり暮らしを終えた日、15歳で「家を出させてほしい」と親に申し出た時のことを思い出した。

親から離れたい

この2年間いろんな人に言われた言葉がある「出身はどこ?」「今はどこに住んでいるんですか?」

その言葉に私は「東京出身ですが、今は神奈川県に住んでいます」と答え続け、みんなの脳内を疑問符で埋め尽くしてきた。この矛盾、説明してもきっと伝わらないだろうと思いながら。

出来るだけ親元から離れたかった

私は東京に執着がない。生まれも育ちも東京だからかは知らないが「東京っていいな」と思ったことが考えてみてもまっっったく思い浮かばないくらいにはない。

15歳で「家を出たい」宣言をした。自由になりたい一心だった。当時は親子関係が怪しかったこともあり、かなり親に対して拒否反応が出ていたが、ひとり暮らしを始めた2年前は関係は良好。喧嘩だってもうする年頃ではなくなっていた。

それでも“親から離れて暮らしたい”。ただそう思って家を出た。2017年の夏だ。そうして東京出身、東京の職場に通いながらも神奈川県に移住した理解不能な行動をする人間が生まれた。

何もできないんだな

大学進学と同時に親元を離れひとり暮らしをした人には、私のひとり暮らしの神格化は理解できないかもしれない。でも15歳から23歳になるまでの約8年間、ただ家を出ることを遠い未来に感じていた私にとって、初めて引っ越しした日は「これって引き返せないかもしれない」と思うほどには、興奮と怯えが入り混じり、躁鬱の人ばりに機嫌がおかしかった。

「ひとり暮らしは大変だよ」それは本当か?

ことあるごとに「実家を出させろ」と脅迫なみに言う私に親は「ひとり暮らしは大変だから無理だよ」と念仏のように唱え続けた。そんな甲斐あってか(?)、完全に「ひとり暮らしは本当に大変なんだろう、食べ物もなく隣人も恐ろしく外出できず、孤独死するかもしれない」と結構怯えていた。(夜道は怖すぎて家の近くになると走って駆け込んだ日もある)

ただ2年暮らしてみて、「ある程度大変だけど、なんとか生きていけるし、隣人は恐ろしくはない」というのが正直な感想。なんでも実体験してみないことには判断できない。

ひとり暮らしをしているみなさん、引っ越ししてきて最初に食べたご飯のこと、忘れてはいませんか。私はめちゃくちゃ覚えてます。一昨日食べたものは思い出せないのに、2年前の夕食は覚えている。人間の記憶力はすごい。

ひとり暮らし=自炊の固定観念があった私は、来る日も来る日も(当たり前だけど)ご飯を作り、洗濯や掃除をこなし、朝9時にインターホンを鳴らすクリーニング屋のおじさん(通称:クリーニングおやじ)に怯え、あらゆる雑事に追われて気付いた。

23年間親の庇護の下で、面倒なことは親フィルターを通して濾過され、自分がシンプルで清いものを享受していたことを知った。世の中でスムーズに生きていくためにやらなければいけないこと、そのやり方を何も知らない。自由に動き、喋り、一丁前面をしている23年間生きた人間でしかなかった。もう本当に0歳だった。

親子は生涯でどれくらいの時を共有できるのか

確執がなくなった今でも、親子関係をどうしていくかは生きている限りぶちあたり続ける。

20代の人間の2年間での変化と、親世代の人間の2年間での変化にはかなりの差がある。自分は下手したら死ぬかもしれない程度の死亡率だが、親は下手しなくても死ぬかもしれないくらい死亡率が高い。つまり、共有できる時間がどんどん減っている。

おそらく順調に生きれば、自然と親と過ごした時間<親以外と過ごした時間が上回る。自然と上回るのだから、一緒に住める環境にあるうちは一緒に住んでいてもいいのかもしれないと思えた。幸いなことに、どう考えても神奈川県の家から会社に向かうより、実家から会社に向かう方が出勤にかかる時間が短い。(当たり前ですね…)

実家に帰る

念願だったひとりの暮らしを思う存分体験できたしもういいや。2年間の遠回りを経て、このたび“出戻った”わけだった。

子が自分の人生を生きようとする時

子を持つ親であるみなさん、自分の子が家を出てしまったらどう感じますか。子を持たない人は全想像力を使い、無理にでも想像してください。

生まれた時、歩くことを覚えた過程、少しずつ言葉を喋り始めた時、はじめて喧嘩が成立した日、高校の卒業など思い出せばキリがなく、これからその日がやってくると考えればいたたまれない。

一度、家を出てしまえばそれからもう戻ってこない可能性だってある。そんな中で父が一言「またみんなそろったな」と言った。なんかもう、その言葉だけで十分すべてが伝わってきた。

子が自分の人生を生きようとする時、親は必ず心配するだろう。そして心配しながらも見守るだろう。そのことを理解するまでに少し遠回りをしたけれど、それだけでも知ることが出来たのだから、決して悪くはない時間だったと言える。

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