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夜行性の大学 5次元目 ー超・経済論 猫の目やお金の正体垣間見し・背景編ー

「お金」って、「エネルギー」です。って説く人もいる。
「道具」です、って説く人もいる。

で、散らばる情報を集めて整理してみたんだけど、

総長的には、結果、両方かな、って笑。

でも、最終的には「道具」だと思う。
非物質の道具。エネルギーで出来た道具。

って事で、まとめるとお金とは、

「エネルギーを、人から人へ運び、人の間を巡らせるための、
 器の役割を果たす道具。」

であーる。この教室では。

「人の意識の中に作られた目に見えない道具」なので、
「概念」つまり、「皆んなで使う、同じ思い、同じ考え」
と捉えることもできると思う。

道具にしては、なんか、画期的じゃない?
ポッと出では生まれないでしょこれ。

じゃあー、「お金」って道具、何で生まれたの?

これもね、闇夜走り回って、散らばる情報を集めて整理してみたんだけど。
総長調べだと以下ね。

「お金」って道具が何で生まれたのか。

あのさ、人との関わりの中で、
感謝を示したくなったり、魅力を感じたり、欲しくなったり、もっと知りたくなったり。何かしら、「価値」を感じる時ってあるじゃん?

例えば「誰かの働き」とか、「どこかで取れた産物」とか「知りたい情報」とかがあって。それらに触れた時に、何かしら気分が上がって、心が動いて。

この「上げー」な心の動き。これが「価値」なんだけど。
これってさ、本来測れるものではなくて、”感じる”ものじゃん?

「コレはいくら、だからアレはいくら。」的な比較で生まれるものでもなくて、
個人の絶対的な感覚なんだよね、価値って。

「好き」は好きだし、「綺麗」は綺麗。 感じたことが全てじゃん?

「まじありがとう!」「これいいね!」「好き!」「爆イケ!」「もっとくれ!」「これは嬉しい!」、もっと静かな、「深ーい喜び」みたいなものもあると思うんだけど。

でさ、人間って本来の習性として、
この「上げ感」が溜まってくると、誰か次の人に与えたくなるみたいなの。
溜まるともよおすように出来てるんだよ。心もね。健康体が本来だもんね。

だからー、この「上げ感」が、多くの人に行き渡って、
共感が大きくなって増幅された方が、全体的により豊かだ、って。
この「通じ合ういい感じ」=「お通じ」を、豊かさとして選ぶ感性を、
人間は元々持ってて。
だって、溜まったもの流せば流すほど、分けるほど増えてくんだもんね。価値が。
原理的にも合ってるよね。猫も出した後、ハイになる訳だ。

例えば、祭りやパーティで、沢山人がいるのに、
わざわざ個々にイヤホンしてそれぞれの曲聞かないじゃん?ほとんどの人は。
一応現代でも「それは野暮だろ」って炎上しそうじゃん?
「上げ感」を一緒に感じて、もっと大きな盛り上がりにしてこうとするじゃん?

これと一緒で、
「個々の発見した『価値』を認め合って、
 さらなる『価値』の発見に努めた方が、より豊かになれるみたい」って。
つまり、
「自分の『アゲー⤴︎』は皆の『アゲー⤴︎』で、また自分の『アゲー⤴︎』として巡っ
 てきて、その時は「上げ感」が勝手に増えてて、
 だからまた流して、また増えて巡ってきて。」みたいな。。

この感覚が、かつての「見えない諸君」の中に広まっていたんだと思うんだよね。

その現れとして、「価値」の「循環」を実現する発明がもよおされた。
「『アゲー⤴︎』のループでもっと上げてこ」なノリというか。

人間が感じた価値を、共通の単位を使って数値化して、
流通・保存・管理をしやすいようにして。
でもって、時間や空間に左右されることなく、「価値」だけが、
人の間を巡っていくことができる。

価値を広く巡らせていくための、目に見えない道具。
そんな発明品。 それが「お金」。

目に見えないままだと、物理次元でやりとりがしにくいから、
数値化した価値を、貨幣という”物”で現して、触って移動もできるようにして。

ここまでが「お金」って道具が何で生まれたか、背景の解説。
あくまで、この教室限定の、猫の目で見てきた背景だけど。ギラギラ。


深まる6次元目。教室はこちらだよー ↓

illustration by NEKO Shiroi



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