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うるせえよ:写真の部屋

けっこうな頻度でアップしていますが、ウザくないですか。質問したくせに読んでくださっている読者の皆様に拒否権はありませんから、これからもグイグイ書いていきますけどね。

毎日、仕事や趣味の写真を撮っていますけど、写真を撮るという行動って「人生の肯定感」なんじゃないかと思っています。またそんなに抽象的なことを言って、技術が足りないのを誤魔化しているのか、と思われてもいい。事実だからです。そして写真の本質は技術にはなく、本質を突き詰めるために必要な技術を学ぶのです。見えないように、と言ってもいいでしょう。

私はこんなに技術を駆使していますよ、と話しても、その人が撮る写真に心が動かなければそれまでです。急激に関係ない話ですが、さっき渋谷の明治通りを物凄い音を立てているバイクがいました。うるせえなあと思っていたら全然近づいてこない。激しく遅いんです。マフラーを改造しているのでしょうが「出前館」の三輪バイクに抜かされるのではないかというスピードで走ってきました。公道ですからスピードを出すことを推奨しているわけではないですが、「おい、その音でその速度はないだろう」と、コントを見る気分でした。

というわけで、道具から入るスタイルは滑稽さの危険と隣り合わせだということを心に刻みました。啓蒙じゃないですよ。俺には他人様に教えられるような技術や感性はありません。この『写真の部屋』も自分が思っていることを素材としてまな板の上に置いて、それを読んだ人に自分の答えを出してもらうために書いています。非暴力主義のガンジーにすら殴られそうな、ヒンディと言ってもいいくらいの頻度で。

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写真の部屋

¥500 / 月

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。