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駅前で歌うとは:Anizine

ソーシャルメディアで書くときは、「それを基準に私を判断してもいい」という覚悟を持つことが必要だ。これは大前提。

好きなことを好きに書きたいだけだから、そんなこと言われたくない、というならLINEなどで個人のやりとりにとどめておけばいいし、クローズドなコミュニティを作ればいい。誰もが見える場所に自分が思ったことを書くのは、駅前でギターを持って歌うことと変わりがない。

「いい歌だね」と言われて自作CDを買ってもらえる幸運な出会いがあれば、「うるせえな、ヘタクソが」と罵られることもあるだろう。それが駅前という「開かれた社会」だから。いい歌だねとは言われたいけど、罵られたくはないという態度には矛盾があるし、都合がいい。

noteという場所は、他と比べて「礼節のある通行人が多い駅」だと思っている。だから俺はここで歌っている。

昨日の投稿のあと、ピースオブケイクの加藤さんからFecebookでリプライをもらった。加藤さんの顔を思い浮かべるとあれを「書かない方がいいかな」とも思ったんだけど、書いたことに対して責任者が正直に反応してくれることこそが、今まで俺がnoteを信頼してきた理由でもある。

その喩えで言うと、その構内で悪さをした人の責任は駅長である加藤さんにはない。反対に駅を今まで通りクリーンな環境に保つために苦心していることが伝わってくる。

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まったく違う話になるけど、「書いたことを基準に自分を判断してもいい」という意味で、ネット上でしか知らない人との距離感はそこにあらわれる。ここからは、できれば「読みたい人」にしか書くつもりがないのでマガジンに入れておく。フィルタリングとして定期購読という機能を使うにも、そこにお金が介在する限りモヤモヤした気分は残るんだけど、まあ仕方がない。自分が影響を及ぼす相手の範囲は、自分が決めるしかない。

俺のFacebookには現在100人以上の友だち申請がたまっている。あきらかにスパムであるとわかるものは削除しているんだけど、それ以外はすべて保留している。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。