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ただ、人がいる:写真の部屋

「これは私の個人的な考えですが」と書き始める人がいますけど、すべての表現は個人的でしかないので、あえて言う必要はないです。

俺は毎日撮っている写真を膨大な容量のHDDに格納していますけど、たまに古い写真を見直しています。撮り方や技術に変化があるのですが、先週の写真を見ても変化がわかりにくいので、数年前に遡ります。

何をどう撮るか、という根本的なところは「人格」とリンクしていますからさほど変わりません。ですが昔の写真を見て、ちょっとした表現部分の変化を発見するのはとても勉強になります。

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こういう写真を、今は撮らないなあ、とか、

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なんでこんな寂しい写真を撮っていたんだろうなあ、など。

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今回は、その中の一つの題材として、「人の並び方」に注目してみます。これは最近、ギリシャで撮った写真です。多くの人が船の甲板に並んでいましたが、なぜ自分はこの人たちを撮ったのか。

一人が左にいて、島の写真を撮っている。右の三人はボーッと眺めている。人の行動の重量バランスは、アクションがある人ひとりと、何もしていない三人で、位置も含めてつり合っています。存在の濃さ、ですね。

こういうのは仕事の写真とは違って、「右の人、もう少し左に」などと指示を出せないので、他にもっといい並び方をしている人たちがいたらそちらを撮ります。もちろん服の色と背景との関係や、男女の比率、背の高さ、それらを全部含めてです。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。