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「コメディアンの殺気」


子どもの頃の俺は、荒井注という人の苛立った雰囲気が好きだった。

カメラを向けられると「なんだバカヤロー」「何見てんだよ」と言う。コメディアンがアップになったときには面白い顔か笑顔をするものだとばかり思っていたから、そのふてぶてしさに驚いた。

笑いの出発点が荒井注だったから、立川談志、桂文治、小松政夫、伊東四朗などの、笑わせようとしているのか怒っているのかわからないタイプのコメディアンが好きだ。

私は今、面白いことを言っていますという顔を作ってみせるのは子ども心にも野暮だと思っていたし、隣にいたら殺されるんじゃないかと思わせるくらい不機嫌な顔の大人が好きだったのだ。

注さんが抜けたドリフターズに志村けんさんが入った時は、正直なところ納得がいかなかった。順当に行けば、すわしんじさんが加入すると思っていた。

でもそれは志村さんがメンバーの中で若かったという違和感だけで、ドリフにどんどん新しい笑いを提供していったことを認めざるを得なかった。年齢を重ねるにつれて志村さんはどんどん渋くなって、俺が好きな「殺気」も感じるようになった。

面白くない世の中に「なんだバカヤロー」と言ったり「カラスの勝手でしょ」と言ってみせる「お笑い」には、演じている者だけが背負う孤独や殺気を感じさせる。それがいいのだ。

このように、我々ジジイには最初から志村さんがドリフにいた世代とは違った納得の仕方がある。

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最初はグー、というジャンケンの作法は志村さんが考えたと言われているが、あれは完全に「音楽」だ。カウントかイントロを付けた方がジャンケンに爆発力が出るという意味だったのだろうと思う。

ヒゲダンスのベースラインもTeddy Pendergrassの「Do Me」とは少しだけ音階が違うんだけど、フレーズがメロディアスになっていて、ヒゲダンスバージョンの方がループ感が気持ちいい。元々ドリフはバンドだし、理屈抜きの「音楽体験」が子どもに与えた影響は大きいと思う。

いかりやさん、志村さんを撮影する機会には恵まれなかったけど、中学生の時にたまたま自宅の前で荒井注さんに出くわしたことはある。うちの前には直角に曲がった細い道があったが、よくそこを曲がりきれずに脱輪するクルマがいたのだ。溝にはまったクルマの横に苛立った顔で立っている注さんと目が合った。その間は「何見てんだよ」と言われるタイミングだった。

クレイジーキャッツもドリフも、好きとか嫌いなんて言う以前に、当時の俺たちの原体験だよね。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。