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それは無謀です:写真の部屋

ソーシャルメディアにはフォロワーという数字がついて回りますが、それは「いくつもある基準のひとつ」として存在しています。どんなものであっても私たちが何かを判断するときに一番大きいものは、人気があるかどうかだと思います。意識的にも無意識でも、長い行列ができている店は美味しいのだろうと想像しますし、マスコミで取り上げられた店、100万部売れた本、などの評価に自分の価値判断が影響されることからは逃れられません。

すると「売れているモノや有名なモノがいいってことじゃないよね」というカウンターが生まれます。これはある意味では真実なのですが、それほど単純ではありません。なぜ世の中には売れているモノとそうでないモノがあるのか、の客観的な判断基準から逃げる理由に使われることがあるからです。

以前、撮影で札幌に行ったとき、数人のスタッフがラーメンを食べようと言い、それぞれが違う店に行ってみることにしました。たくさんの店が並んでいましたが、みんな行列の長い店に並びました。私はアマノジャッキーですから「行列している店なんかベタだろう」と、店内に誰も客がいない店に入りました。食べ終わって集合し、美味しかった、並んだ甲斐があったなどと話しているみんなを見て、素直に繁盛している店に行けばよかった、と思いました。私が選んだ店はキッチリ手応えのある理由で客がいなかったのです。

やる気のない店員、無愛想な店主、清潔感という言葉を敵視しているかのような店内。味は言わずもがなでした。

まあ、そういうこともあるということですが、全部が全部そうではありません。大勢に支持される根拠は「平均的な合格点」であることが多いですし、言い方を変えれば、大失敗はないが大成功もない、ということになります。それをもって安全策だということには不満がありますから極端な素晴らしさを探すわけです。

しかしですよ。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。