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アートの著作権:写真の部屋 / Anizine

尊敬する写真家の先輩である伊島薫さんがFacebookに書かれていたことを読んで考えました(画像は伊島さんの投稿からお借りしました)。

伊島さんの商業的な写真もアートとしての写真もずっと拝見していますが、若輩者が僭越ながら感じることは「写真に向かう姿勢の素晴らしさ」です。

自分が写真を見るとき、写真家に会うとき、何を基準にしているかというと、自分だけの表現をしているかどうか、です。それをやや乱暴に言い換えるとアートかビジネスかということにもなります。もちろんアートビジネスという言葉もあるのですが、それは一旦置いておきます。撮影を仕事にしているうえで、注文された写真を撮るというのはとても単純明快です。依頼主がいて職人としての技術を売る。その対価で生きているわけです。

しかしそこに「アート」としての側面が多少ちらつくことで、アートとしてもビジネスとしても中途半端になっていることは否めません。ビジネスをまったく無視する人もいれば、ビジネスだけに固執する人もいます。これらのスタンスは社会人として幼稚になりますから気をつけなければいけません。よくある議論が、好きなことをしているから食えなくてもいい、という人と、食うためならどんなことでもする、という極端な立場の対決です。あまりにも不毛なのですが、「好きなことをしてビジネスとして成功する」しか最終的な答えは残されていませんから、そのどちらかが欠けている自分へのエクスキューズで、お互いに話していても仕方がありません。

伊島さんが「自分の写真は著作権を放棄してもいい」と書かれたことについて、着眼点が流石だなと感じました。印象は過激なのですが、商業とアートを突き詰めた人だから言えることだと思います。写真を撮った手間賃や二次使用料について考えなくてはいけないのは、「私は百年残るアートを作る存在ではない」と宣言するのに近いことです。知的所有権を始めとした著作者の権利意識は重要なのですが、それは権利を預かり、扱う側の、あまりにも無知な態度に対して権利を主張するときにだけ語ればいいことです。

伊島さんの言いたいことはそんなに些末な部分ではないと思われ、これから書くことは定期購読マガジンの読者だけにお伝えします。もしも著作者の権利について真剣に考えている人なら、無料で読めるものと、そうでない情報の価値に差があることはわかっていると思いますので。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。