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誰が撮ってもいい写真:写真の部屋

「こんな写真を撮りました」と見せてもらうことがあります。感想を期待されているのでしょうが、だいたい何も言うことはありません。そういうとき、私は写真家とアートディレクターというふたつの立場で見ることになります。撮る人の気持ちに共感できる目と、選ぶ側の冷徹な目です。

アートディレクターが写真を見るときは、これが世の中に存在したほうがいいか、という視点がスタート地点になります。飼っているペットの写真や、尾瀬の水芭蕉や、一面のヒマワリ畑に女性が立っている写真を見せられると「これを撮り続ければいいんじゃないでしょうか」と思うわけです。皮肉ではなく。

写真は自分が昆虫採集をするように、見た物をカメラという虫かごに入れて家に持ち帰る作業ですから「そんな虫を捕まえてどうするのだ」と他人が批評しても無意味で、誰でも自分の好きな虫を捕まえて、あとから標本を楽しめばそれでいいのです。

ただ、それが「写真作品」や「仕事」として、自分以外の誰かにとっての価値を生み出すかと言えば話は別です。趣味とは自分でお金を払って楽しむもので、仕事はお金をもらってすることです。では、趣味から仕事にしたいと思っている人はどうすればいいのでしょう。自分の家のペットや植木鉢や友だちのモデルは、誰でも撮ることができます。誰でも撮れるものは作品や仕事にはなりにくいものです(写真家の中には極めてパーソナルな写真を芸術作品にまで高めた人はいますが、それはごく少数なので例外と言えます)。

ここで私が書いていることは有料の『定期購読マガジン』として読まれているのですが、そこにお金を払ってくれる人がいるのはなぜか。無料で読める記事とは何が違うのか。これから、その説明をします。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。