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「テニス方式でお願いしたい」

大人になってよかったと感じるのは「裁量権」を獲得したことだ。

やることもできるしやらないこともできる。自分がやりたいことと、やりたくないことを選べる。

子供は命令され、強制される。これを不満だと思うか居心地がいいと思うかは人による。俺は全部を自分一人で決めるために大人になりたいと思っていた。理由は「勝っても負けても責任を取りたいから」。

「ひとりで」という言葉にはいろんな意味があって、世間とか、友人とか、家族とか、会社とか、そういった一切の言い訳から自分を切り離す勇気を持てるか、という問題。

完全な裁量権を持つと、逆に選択は子供っぽくなる。欲しいモノは何でも欲しい。やりたくないことは全部やらない。

我慢は大人っぽい作業だ。その代わりに「我慢した」という大義名分で他人に責任を押しつけられる。

『ニューシネマパラダイス』で、都会に出て行く息子同然のトトにアルフレードが言った言葉。「田舎に帰ってくる必要なんかない。俺はお前の噂を聞くのを楽しみにしている」

これが親と子供の人生が、互いを尊重するがゆえに切り離された瞬間だと思った。

さらに幡野広志さんの本でも書かれているけど、友人のアドバイスというのも最悪なモノだと思っている。リングの上は一対一でしかない。セコンドの大声はいらないのだ。

サッカーも野球も監督が指示を出すけど、テニスは試合が始まったらコーチは一切の助言を許されていないから、負けても監督の采配が悪かった、とプレイヤーは言えない。

これがしたいけど、誰かがダメだと言うからできない、というのは自分が傷つかないラクな言い訳だと思う。できないときに「できるようにしよう」という努力をしなくて済むんだからと思いながら、おはようございます。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。