見たいのは、その人:写真の部屋
ジジイになってうれしいのは「時効になった悪行」をバリバリ書けるところなんですが、会社員だった頃にアルバイトでアイドルの写真集をデザインしていたことがあります。
太陽がまぶしいハワイやバリ島などで撮られた水着のアイドルの写真を、会社の仕事が終わった夜中に黙々とレイアウトしていく。写真集のクレジットに自分の名前を載せるわけにはいかないので「ブルガリア・デザイン」という架空の社名を使っていました。なぜその名前にしたのかと言えば、ブルガリアにはヨーグルトの印象があり、健康によさそうだったからです。
そんな写真集を作っていたあるとき、出版社の編集長から、「このデザインをなくして」と言われました。自分としてはアイドルの写真集だとしても何かいいデザインを施したいという意識がありました。しかし彼は「いらない」と言う。そのときは疑問に思いましたけど、正論でした。
アイドル写真集を買う人は、アイドルが見たいんですよ。
たったそれだけのことを忘れていたのです。この経験は今思い返しても、とても有意義だったと思っています。写真にしてもそうです。アイドルの写真集の表紙に一番大きく出ているのは写っている人の名前であり、撮った人の名前ではありません。アイドル本人が写真集に写っていないことはあり得ませんが、ものすごく乱暴に言ってしまうとカメラマンが別の人だったとしても何ら問題はないのです。
例外を言うと当時、宮沢りえさんの「Santa Fe」という写真集が出ました。これは「篠山紀信という写真家が撮った宮沢りえさんの写真集」という等号を伴った希有な例です。
広告の仕事をしながら夜はそんなことをしていた俺ですが、それぞれの写真の重要さには極端な違いがあることに驚きました。写真集はカメラマンから受け取った写真をレイアウトしていただけだったんですが、アートディレクターとしてロケに同行することも何度かありました。グラビア的な仕事ではほとんどアートディレクターは現場に来ません。カメラマンが思ったように撮っていくんですが、そのスタイルが広告とはまるで違うのです。衝撃はロケ初日に起こりました。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。