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理想のデート:写真の部屋

料理は写真によく似ていると思うから、いつもその喩えを使ってしまう。何か違う仕事はないかなあと考えているんだけど、料理以上にしっくりくる比喩がないからあきらめている。

皿の上の配置など即物的に料理が写真に近い部分はさておき、もっと深い精神的な意味でシェフと写真家は同じようなことをしているのだろうと感じる。料理を作るための素材を見極めるためには、他の人が作った料理をたくさん経験して知っていることはもちろん、加工前の素材をも推測できなくてはいけない。

大は小を兼ねるというか、上位互換というか、いいモノを知っていれば自動的に悪いモノもわかるはずだと思っている。だからできるだけいい素材を自分の養分として取り入れる必要がある。マクドナルドとストロングゼロとコンビニのスイーツ(喩えですよ)の毎日を送っていても、創作の質は上がらないだろう。

だからと言って毎食を三つ星レストランでとるのは非現実的に決まっているから、まずは加工前の素材に重点を置いてみる。繊細な体調管理をするアスリートは牧場で自分が食べるための牛や豚を育てているという話を聞く。自分の口に入る肉が、いくらトレーサビリティが徹底されていたとしてもどう育ったものかが厳密にわからないのは困るからだろう。

アスリートの場合、「肉体の管理をすることが仕事の最重要な一部」であることは納得がいく。彼らのフィジカルなインプット管理と同様に、自分はメンタルなインプット管理をしているだろうかと考えてみる。本を読む、音楽を聴く、映画を観る、などの入力は思考を形作っていくものだから気をつけなくてはいけない。

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たとえばあるひとりの写真を撮るとき、そのアウトプット(写真)は、インプットの質を超えることはないだろう、という話をする。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。