生きてるだけで、愛。
外国に行って感じるのは、国民性のように抽象的なモノではなく、初めて出会う、個人的な感覚であることが多い。言い方はヘタだけど、「こんな個人に会ったことがない」というような。
わかりやすく違って見えるのは、女性だ。
恋愛を軸にすると、はたして俺はこの異国の女性と恋愛ができるだろうか、と考える。すると、この土地に骨を埋める覚悟があるのか、あたりまで芋づる式にたぐり寄せることになってしまう。
便宜的に日本女性を「特殊」と位置づけることを許してもらえれば、それ以外の国の女性は、意志を強く持とうとし、男性への依存が少ないように感じる。俺が知っているのはヨーロッパなどの狭い範囲だけだけど。
弱さを見せ、社会に適応できない自分の不器用さを愛してもらおうとすること、またそれを好む男性などの構図は、たぶん下北沢あたりでしか通用しない独特な感覚なんじゃないかと思っている。それは世界における田舎の特殊な個性だから悪いとは言えないんだけど、それが「意味のある繊細さ」として世界に理解されるかと言えば、まずムリだ。
ワンルームマンションでの同棲を描く神田川みたいな設定は、70年代じゃないんだから、小さな石鹸がカタカタ鳴らなくていいよ。
ヴィスコンティやトム・フォードみたいに、自分の生活が貧しくない監督が作り出す世界観が、邦画には圧倒的に不足しているなあと感じる。
『生きてるだけで、愛』を観た。今更なんだけど、関根監督の映像と演出手腕に驚く。
俺は映画館で観ることを第一には考えていない。それは単行本の方が文庫本よりサイズが大きいから、小説をより味わえる、というくらい馬鹿馬鹿しい考えだと思っている。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。