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ハリウッドでなくても:Anizine(無料記事)

平林監督のnoteを読んだところです。私は今まで何十年も平林監督と話してきましたから、会っていないときにも話しかけられたような気がして、つい反応してしまいます。

平林監督の話は私もいつも思っていることですが「誰でも自分のことを他人に読んでもらうために書けばいいのに」ということです。みんな誰かの投稿を読んでいるのですが、「あの人は芸能人だから読む価値があるので、自分には何もないっすから」と、自分では書かないのです。これはコンテンツ価値の自己判断と言えましょう。あなたのコンテンツの価値は他人が決めます。

私は写真を撮る仕事をしていますが、プロだのアマチュアだの関係なく、みんなが好きで撮った写真が見たいのです。「私なんかの写真は価値がない」と、自分で決めないで欲しい。今日はアメリカで皆既日食が観測されましたが、多くの人々が自分の地域から見た日食の写真や映像をアップしていました。それがみんな違っていてとても楽しいのです。NASAのすげえ写真だけに価値があるのではなくて、あらゆる角度から感じた証拠が楽しいのです。

それは、日食や満開の桜のような特殊な出来事だとイベントですから敷居が低いのですが、そうじゃないんです。「今日はこどもの入学式です」は、もちろんいいんですけど、「今日は息子の9日目の登校です」でもいいんですよ。特別な日や特別な出来事なんてないんですから。そこに意味があるかないかは判断しなくていいです。『THE 虎舞竜』も言っていましたよね。何でもないようなことが幸せだったって。今調べたんですが、THEがつくんですね。

日本国民のネット環境がある人みんなが「独特な自分の話」を書いてくれたら豊かだと思います。だから、全員が同じモノを見て同時に「バルス!」と言うような行動は好きではないのです。それは旧来のマスコミが得意としていた同時性に逆戻りしているからです。インターネット、ソーシャルメディアという個人の武器をオリジナルな方法で使ってくれないかなあと感じます。

映画『SMOKE』のように毎日、自分の家の前を写真に撮ってもいいし、文章をハーヴェイが書いてるようにアップしてもいい。とにかくあなた以外の他の誰もが知り得なかった情報が知りたいのです。それは世の中のわかりやすい価値とリンクしていなくてもよくて、ハリウッド映画みたいな動画を作る必要はないのです。


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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。