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両手に持つもの:Anizine(無料記事)

「生きる、って何ですか」

と、ある俳優に聞かれた。突然だったのでやや答えに詰まる。

詰まるのは当然で、それがわかっていれば俺はもっと自信満々に生きていると思う。こう生きてきたことは間違いだったかもしれない、という逡巡や後悔に支配され続けている。俺がオッサンと話すのが好きなのはチカラが抜けているからだ。若者には無限の可能性があるから「夢の圧」が強く、その言葉のひとつひとつが、「俺はそうなれなかった」という刃となって突き刺さる。

それなりにやることをやりきったオッサンは、できたこととできなかったことの数々を分別して心の中にしまい込み、生きている。プロボクサーのライセンスに年齢制限があるように、50代でアスリートを目指すことは不可能だし、もうすでに肉体的にも精神的にもゼロから新しいパーツを手に入れることは難しくなっていき、やれなかったことへの後悔ばかりが蓄積していく。

10代や20代の若者にはそれらすべてに挑戦する資格や権利がある。結局のところ、誰でも多くの夢を手に入れることはできない。こういう言い方をすると差別だと言われるので生物学上の概念として赦して欲しいんだけど、人間には二本の手がある。その両手にはふたつのものしか持つことができない。両手に幸福を持っていたらそれでいいんだろうけど、幸福を持っていることは新しいものを持てないということの裏返しでもある。

誰もがやりたいことの多くを手放し、最後に握っているべきものを探し続けるのだが、そこにまったく後悔のない人などはごく少数なのだと思う。あのとき、あれを手放さなければよかった、あれを掴んでおけばよかった、という、戻らない時間への悲しみだけに囚われる。

肉体も精神も充実している若い頃は、まるで千手観音のようにそれらすべてを手に入れられると感じている。でも違う。ふたつだけだ。大きな荷物なら両手で段ボールを支えて持つときのように、たったひとつなのかもしれない。

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ふたつとは、外に向けた自分と内側の自分だろうか。家庭と仕事かもしれない。両手に仕事を持っていたらどうなる。もしかしたら大きな箱に仕事と家庭が一緒に入っているかもしれない。そう考えると日々は厳しい選択の連続で、ゲームオーバーのときに何を持っていたかが、「どう生きたか」の答えになるのかもしれない。

彼の質問に対して俺はあまりうまい答えを返せなかったけど、あとから整理するとそういうことなんだろう。俺が好きなオッサンたちは若い頃にアホかというほど何かにのめり込み、挫折し、何かを拾い、何かを捨て、でもそれが自分の生きてきた証拠であるとでもいうように、両手に誰も傷つけないちいさなプライドの鉱石みたいなものを握りしめている。それは人に見せるようなものではないから、彼らは両手をポケットに突っ込んでニコニコしている。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。

気づきとか学びっていう、バカ
写真家・アートディレクター。着ぐるみの中は繊細です。1964年生まれ。「ロバート・ツルッパゲとの対話」 https://www.amazon.co.jp/dp/4908586071/