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記憶に残る写真:写真の部屋

写真を撮っているとき、セレクトしているとき、レタッチしているとき。

ありがちな言い方をすると「RAWデータは楽譜で、現像とレタッチは演奏」と言えます。デジタルカメラのRAWデータは、カメラの撮像素子に取り込んだデータをデジタル信号として記録したモノで、まだ画像ではありません。カメラメーカーはそれをjpgとして現像するレシピを持っていて、画像に変換したデータも同時に提示します。これが「メーカーの出す色」ですが、しばらく撮っていればプリセットスタイルは使わなくなります。

すべての写真には「自分の正解」があるはずですから、どんな風景でも「セピア調のカラーモードにしたからノスタルジックでええなあ」と楽しめるのは始めた頃だけです。現像は、その場の光や、色や、それが画面を占める割合などで違ってくるので、ひとつとして同じパラメータが通用する状況はありません。

だからRAWで撮っておいて、あとから調整します。

まずは完璧な適正データを出力できるようになるまで、徹底的に訓練します。これはけっこう簡単で、最低限のことをクリアできるようになるには半年もあれば大丈夫です。それができるようになる前に面白がって色を強調したりエフェクトをかけたりするのは進歩が遅くなるのでやめた方がいいと思います。

基準としての適正が出せるようになったら、そこから初めて「個性」の領域に踏み込むことになります。自分にとって夕焼けはこう見えたのだ、このときの気分は暗かったのだ、などと感情を現像して写真に込められるようになります。

また、私にはこう見えているという感情をどんどん拡大していくと独特な表現になることがあります。俺はクルマのテールランプが好きで、いつも撮っていますが、決めていることがいくつかあって、そのひとつが画面を90度反時計回転させることです。普段から見慣れているカタチにしたくないからです。

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元々、横に長いカタチのモノを縦にすることで、漫然と面白いテールランプを撮っているのではないという「ディレクション」が入って来ます。普通の横向きのテールランプの写真を見たら気づかなくても、この縦位置を見れば(知っている人は)俺の写真だとわかります。

どうにもならないと思っている食材も料理の仕方で味が変わるし、これって食べられるモノだったのか、という発見もあると思います。

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後続車にブレーキ、方向、後退を伝えるための赤、オレンジ、白のランプで構成されているだけなんですが、その機能だけにとどまらず、個性ある美しいデザインであることに気づきます。

テールランプが気になりだしてから、パリのカフェでこんな店を見つけました。

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カウンターがすべてテールランプでできている。洒落ております。
Les Petites Écuries
40 Rue des Petites Écuries 75010 Paris.

さて、テールランプを例にしましたけど、どんなモノを撮ってもそれが「見た人の記憶」に残らなくてはいけません。いい写真とは視線の滞留時間が長いものだという考えがあります。これは何か、どう撮っているのか、どんな場所なのか、と見ている人が考える余地があるのがいい写真なのではないかと思います。

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画面の回転を使ったサンプルにこんなのもあります。モデルは実際にはベンチに寝ているんですが、回転することで浮いているように見えます。それともうひとつ、寝ている人があらわす「性的な印象」を見る人に与えたくなかったからです。

この撮影手法そのものは特に珍しくもなくて、確かアジアの写真家でこればかりやっている人がいたはずです。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。