選択と断面:写真の部屋
何を選んで撮るか。それが写真のすべてであると言ってもいい。
自分にとっての理想を描く絵とは違って、写真は目の前にある膨大なオブジェクトの中から、撮るモノと撮らないモノを決める作業だ。
「何かを撮る」前には、選択があるはず。そしてそれが写真のほぼすべてを決めるのだとわかっているという人も、もう一度考えてみて欲しい。工場で作られた工業製品は寸分たがわず同じカタチをしているが、自然のモノはそうではない。花は全部違うし、犬もみんな違っている。雨や空は昨日とは違うし、一瞬たりとも同じ表情ではない。
それが写真を撮る価値で、その根本的な部分をスマホやソーシャルメディアが人々に気づかせた功績は大きい。
夜中にひとりで月を見上げる。綺麗だなあと思う。それを誰かに広く伝えようとする行動は、過去だと詩人くらいしか成し得ない仕事だった。それがどうだ。今は隣の部屋にいる人、遠くにいる人、外国に住んでいる人にさえリアルタイムで「自分が見た月の美しさ」を発信できる。
写真は「今そこにしかない、かけがえのない一瞬」をスライスして断面を見せてあげる行為で、カメラという名のナイフは誰の手にも握られていて、その人が立っている場所からしか切り取れない角度の断面がある。
スマホのディスプレイを見ている人の正面に座っていれば、画面は見えず、スマホの裏側だけが見える。ソーシャルメディアにアップすれば自分側の画面にそれは映る。視点を共有するというのはそういうことで、以前ではその人の画面側に物理的に回り込むしか方法がなかった。
ふたつの言葉が出てきた。「選択と断面」。
選択したモノが断面であり、断面を見せるために選択する。どちらも同じことだけど、そのふたつが自覚的に揃って初めて「写真という表現」になる。
簡単な例で言うと、あるモデルの写真を撮る。あなたが70億人以上の中から選んだ一人だから、これは確実に「選択」だ。その人にどんな服を着せて、どんな場所で、何をしているかをディレクションし、より魅力的に見せようとする。過去に撮られたその人の写真にはなかった印象が得られれば、それがあなたがスライスした「断面」になる。
では、選択と断面の精度を上げるためにはどうするか。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。