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祖父と落語:Anizine

子どものとき、祖父の話を聴くのが好きでした。面白いというのは真面目なことを教えてくれるより価値があると思っていたので尊敬していたのですが、中学生くらいになって志ん生師匠が存命だった頃の落語をテレビで観る機会がありました。枕を聴くと祖父が話していたことと似ていました。似ていたというか、祖父が完全に志ん生からパックンチョしていたことを知りました。

だからと言って祖父への尊敬がなくなったわけでもなく、それが落語に興味を持ったきっかけです。江戸の風俗、人情、教訓、哲学、ファンタジー、それらのすべてが祖父の人格を形作っていたことも理解できましたし、まさに彼の生き方は落語の登場人物としか思えないほどでした。また祖父は歌舞伎や講談も好きだったので演目のあらすじを教えてくれることもありました。それらにはあまり興味がなかったので、この長い話、早く終わらねえかなと思っていたことも事実です。

何かがあると「それは寝床だね」とか「おこわにかけたね」などと言うので、いちいちそれはどういう意味かとたずねました。

短編亭平林師匠

「ひとつとやっつでトッキッキ」と祖父が言い出したときはどうなってしまったのかと不安になりましたが、それが落語の『平林』だということを後から知りました。写真の平林師匠とは無関係です。

落語には様々な種類の噺があり、中でもロジカルなものに子どもの私は興味を持ちました。『壷算』『時そば』『粗忽長屋』『片棒』などです。特に粗忽長屋や片棒などは、自分が死んだことを理解しない、死体の入った棺桶を死んだ本人がかつごうとする、というロジカルなファンタジーと滑稽さ、無知を笑う人のことをもう一段階笑うという仕組みの面白さに感動しました。

人情噺などは日本で生まれたものが多いようですが、落語の原型は中国の古い民話から取られていることもあり、どちらかというと噺の仕組みが際立っています。アメリカンジョークもロジック優先なのでそれに近く、立川談志師匠からもその雰囲気を感じます。

落語を楽しむにはある程度の基礎知識が必要で、先ほど書いた「おこわにかける(人を騙す、からかう)」などの言葉をそもそも知っていないとオチで笑うことができません。考えオチも同じで、落語家によっては『そば清』の最後のシーンに説明を付け足すこともあるようです。そうなってしまうと考えオチの持つ粋がなくなるのでできれば避けて欲しいと思うのですが、聴いている客がわからないといったこともあるようです。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。