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燃えたラブレター(前編):博士の普通の愛情(無料記事)

さっきコーヒーを飲んでいたカフェではFMラジオがかかっていた。聞いたことがあるパーソナリティの名前。よく知らないが今の若者はナビゲーターと呼ぶのだろうか。ワニの一種みたいだよなと思いながら70年代のアメリカンポップスを聴く。曲を紹介する声は僕を小学生の時代に引き戻した。彼女は同級生なのだ。

僕は家庭の事情で4つの小学校に通った経験がある。つまり3回転校していることになる。転校というのはしたことがない人にはわからないと思うのだが、やってみるとなかなか面白い。急にクラスの全員が知らないやつらになるわけで、向こうにとってはどんなやつかもわからないのが来るのだ。一度目は何が何だかわからないままに過ぎていったが、二度目からは「転校というイベントを味わう」重要さに気づいた。

バックグラウンドがわからないやつがクラスメイトとして認知されるまでの道のりは自分で観察していてもとても楽しい。今思えばこの頃から人との距離感が鍛えられた気もする。二度目の転校が決まったとき、今回は「絵が巧い寡黙なキャラでいこう」と決めた。転校当日の昼休みには誰とも話さずにずっと絵を描いていた。のぞき込む数人の「おい、こいつ、絵が巧いぞ」という言葉が聞こえる。「ねえ、絵が得意なの」という質問には無視を決めた。

気難しい無口な絵が巧いやつというキャラクターが浸透したあたりで、徐々に友だちになれそうなやつを選別した。最悪の場合、転校生はいじめられることもあるから、一目置かれるというのは大事なのだ。この人格リセット遊びをもう一回することになった。そのときは勉強ができる秀才キャラを演じたが数回のテストで実力が見透かされた。元々住んでいた場所は横浜の中でもランクが高いと言われる「二区」だった。「中区と西区以外は横浜とは認めない」というのが我々のプライドだ。そのヒエラルキーは絶対であり、私も横浜なんですよと言われたときには「何区?」と無表情で聞くのが決まりだ。

高校は横浜ではなかったが、そこに新任の教師が来た。彼が横浜出身であると自己紹介をしたので「僕もです」と話しかけた。国広富之さんっぽい、わざとらしいくらいクールな雰囲気の若い教師だった。銀縁メガネの奥の目が冷たい。「何区?」と聞かれたので「西区です」と答えると、「ああ、オッケー」と言う。オッケーとはどういうことなのか、我々にしかわからない絆がそこにはある。どちらかというとその手の話は部外者からは嫌がられるだろうけれど、くだらない遊びなのだ。本気になって怒られることもあるけど。

三回目の転校のときは四年生だったと思うが、それまでとは違ってちょっと自然が多い場所の小学校だった。かなりいい表現をしているが横浜の中でもド田舎だったので、「僕はエレガント村から来ました」という仕草を見せたかった。転校してすぐに秋の遠足があった。馴染んでいないうちに遠足というのはかなりハードだと感じたのは、自分が貧乏くじを引いたのがわかったからだった。

バスに乗ると、仲のいい同士が隣に座っているのがわかった。僕が空いている席に案内されると隣に座っていたのはクラスで敬遠されている女子だった。今の時代はもうこれでアウトだろう。誰も嫌ってはいけないのである。しかし当時はキレ味のあるやつらが容赦のないあだ名をつけていた。数十年後に「あだ名もアウト」という時代が到来するなんて想像もできなかった。髪の毛がクルクルしたくせっ毛で、色が黒い彼女のあだ名は「アフリカ」だった。クラスのお調子者は「アフリカの隣は近藤くんです。熱いよ暑いよ。アフリカだから」とはやし立てた。

僕は山の中に入って行くバスの中が寒くなってきたのに気づき、隣のアフリカに「よかったら僕のジャンパー、羽織って」と優しさアピールをした。アフリカは「え、気持ち悪い」と言って寝てしまったが、その瞬間はしっかりお調子者に見られていて、それからはしばらく面白おかしくその話をされてしまった。僕は別にいいところを見せようと思ったわけではないと自分に言い聞かせていたが、もしかしたらクラスで嫌われている女子に優しくしてみせることで株を上げようという意図があったのかもしれない。

その頃、よく読んでいた太宰治の『親友交歓』で、優しくしたつもりの友人から「威張るな」と言われる台詞が出てきたのだが、あれがすべてのような気がした。

今の姿を知っている人は驚くかもしれないが、小学六年生のときは身長が140cmしかなく、朝礼では一番前に並んでいた。親戚の誰もが同じような成長を遂げるらしく、みんな中学校を出るくらいまでは背が小さい家系だった。ある程度の年齢になると人並み以上に大きくなるのだが、今でも177cmの僕は親戚の中で一番小さい。あるとき結婚式があり、式場に向かう我々を乗せたクルマが警察の検問に止められたことがある。中をのぞき込んだときの警官の顔が忘れられない。神戸の暴力団との抗争があり、横浜が厳戒態勢を取っていたところ、180cm、100kgを超える黒いスーツの男たちがクルマにぎゅうぎゅう詰めになっているのだ。誤解するのも仕方がない。

体がデカいというのは動物的に言えば優位に決まっている。僕はその恩恵を何度も味わってきた。

後編に続く。


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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。