見出し画像

独学の危うさ:写真の部屋(無料記事)

どんな専門職でも同じだと思いますけど、何かをするときにはその裏で目に見えない膨大な作業をしているものです。

「お寿司屋さんって、魚の切り身を米の上に乗せてるだけでしょ」

と、寿司屋の大将の前で言ってみてください。親切な大将なら3時間くらい説明してくれるでしょうし、気が短い人ならその場で塩を撒かれるでしょう。できあがった寿司を見て「魚が乗ってるだけ」としか思えない人は、絶対に寿司職人になることはできません。それは何となくわかりますよね。

写真でも、まだキャリアの浅い人のことを誰も馬鹿にしたりはしません。誰だって最初は何もできないからです。でも、1年目だろうが10年目だろうが、「学ぼうとしない人」のことは放置します。どんなに優秀なプロフェッショナルの写真家であっても、始めたばかりの頃はヘタクソなはずです。当たり前です。でも比較して昔の方が下手だとわかるのは、努力して進化した証拠です。

ある中年男性が数年前に写真を撮り始めたのですが、その写真は呆れるほど下手で、細かく指摘するなら数十カ所の「プロなら決してやらない失敗」があり、失敗の見本市のようでした。カメラを買って数年くらいはまあそんなものです。しかし驚いたのはその人が撮影の料金表が添えられたサイトを立ち上げていて、最近撮影されたと思われる写真が「撮影実績」というコーナーに並んでいました。それらの写真すべてが、あの時の失敗の見本市のままです。これで彼はお金が取れると思っているんだろうか、と驚きました。

画像1

「いい写真」「悪い写真」なんていう高尚なレベルの話ではありません。電球を取り替えるときには電源スイッチを切る、ジャガイモを料理するときは芽を取る、注射を打つ前には皮膚を消毒する、というように当たり前のことが何もできていないままです。そのままだと「感電します、お腹を壊します、ばい菌が入ります」という、職業における最低限の勉強をなぜしないのでしょう。技術をひとつずつ先輩が教えることはできますけど、学ぶ方法そのものは教えられません。なぜその技術が必要なのか、に興味を持たない人は何も進歩しません。

世の中には「独学」を薦める本などが溢れていますが、これは昔とは環境が変わったので一理あると思っています。しかし徒弟制度で1から10まで教えられていたことをひとりで学ぼうとすると、必ず「知らないということ自体を知らない」という落とし穴が待っています。つまり、独学とはかなり上質な学ぶセンスを持った人にしかできない芸当なのです。師匠から教わると上下関係が面倒だから嫌だとか、俺は自由にやりたい、などという理由だけで独学を選んでしまうといい結果にはつながりません。

「お寿司屋さんって、魚の切り身を米の上に乗せてるだけでしょ」

と言うのは、丁寧な仕事をした寿司を食べたことがないか、たとえそれが出てきても意味がわからない人です。だから自分も寿司職人と同じことができているのだと思って、名刺に「寿司職人」と書いてしまいます。シャッターを押しただけではお金をもらえる写真にはなりません。世界中の優秀な写真家が撮った写真をよく見てください。それと自分が撮ったものが同じだと思っているようなら、お手上げです。

(無料記事は、定期購読するといこういうことが書いてあるからメンバー登録よろしくね、わかってるよね、という意味です)

ここから先は

0字

写真の部屋

¥500 / 月

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。