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ホテルに籠城した:Anizine(無料記事)

ニューヨークと言われて思い出すのは、何度か男ふたりでの旅行をしたことだ。

最初にN.Y.に行ったのは仕事の撮影だった。その数年前に遊びに行く予定だったのだが、ある事情で行けなくなった。ちょうどトランプ・タワーができた頃のことで、なぜ行けなくなったのかは『ロバート・ツルッパゲとの対話』にも書いたので、リンク先から購入のついでに読んでいただけると幸いである。

その時が初めての外国でのロケで、まったく英語ができなかったからとにかく恥をかいた。日本から同行した経験豊富な撮影スタッフと現地の人々が何を話しているかがまったくわからないばかりか、レストランなどでの慣習や振る舞いもまったくわからない。撮影をアートディレクターとして仕切る立場なのに、これでは情けないと思った。

二度目は友人のマサアキさんとふたりで行った。俺は一度N.Y.の土地に降り立った経験があるのでやや慣れていた。空港からのタクシーでは2メートルくらいありそうな黒人のドライバーが、四角い箱でスイカを育てるとその形になる、というやつみたいにイエローキャブの運転席にはまっていた。なんだかスゴいことろに来たということだけはわかった。

何回行ってもそうだけど、夕方の摩天楼のシルエットを見ながら川を渡ってトンネルに入ったかと思うと、急に街の真ん中に出る瞬間が大好きだ。クラクションとパトカーのサイレン。街の喧騒が映画のオープニングのSEみたいに旅の始まりを盛り上げる。あの空港からのドラマチックなアプローチを考えた人を尊敬する。千葉からだらだらと都内に向かう東京とは大違いだ。

色んな場所に行くようになってから、あの頃の「最初の体験」は失われていった。でも初めて行く場所では毎回すべてを見逃さないようにしたいと思うし、心が躍る。

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マサアキさんと俺はただただホテルの近所を散歩した。いつも銀座で一緒にいるときと何も変わらない。でもそれが目的を持たない男同士の旅のいいところだと思っている。その頃の俺はまだ写真を撮っておらず、カメラを持って行っていなかったんだけど、記録のため、滞在何日目かに新聞のチラシに載っていたビデオカメラを買うことにした。当時発売された「パスポートサイズ」というコピーがついたSONYのハンディカムだ。

広告に載っていた店がタイムズ・スクウェアにあるホテルのすぐそばだったから行ってみると、値段が広告より100ドルくらい高い。つたない英語で「広告に載っていたこれが欲しい」と言うと、場所柄、観光客相手の商売だけをしているらしい店のオヤジは、「もう売り切れたから、これしかない」と言う。

値段ははっきり憶えていないけど、ビデオカメラが1000ドルくらい。それが売り切れだというのは理解できる。しかし、オヤジがカウンターに出してきたのはビデオカメラの箱と、安っぽいカメラポーチのセットで1100ドルのセット。つまり抱き合わせ販売というやつだった。当時はカードも持っていなかったので、自分のお金にマサアキさんに借りたお金を全部足して、仕方なくそれを買った。頭に来たので、安っぽいビニールのポーチを床に投げ捨てて帰った。オヤジは笑顔でそれを拾って埃を払うと、また棚に戻していた。それを見て俺たちは笑う。

残り数日、俺たちはほとんどお金がない状態で過ごさなければならなくなった。その頃は毎日出かけるときにベッドに数ドルのチップを置いていた。今ではあまり見かけない風習だけど、当時はそれが義務だと思っていたのでそうしていた。外に出るとチップを置かなければいけなくなる。だから俺たちは掃除を拒否して部屋にいた。デリで数ドルの食べ物を買い、部屋でテレビを見ながら残りの日々を過ごした。おばちゃんがドアをノックし、「掃除をしたい」と言うが、「その必要はない」と答える。籠城だ。

マサアキさんに迷惑をかけた旅だったが、とても楽しかった。

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昨日「貧乏旅行」の武勇伝をあまり誇られても困る、という話を友だちとしていた。年齢相応の旅ができるようになった今でもあの頃の旅は楽しかったと思えるから、まあ、貧乏だろうが何だろうがそんなことはどうでもいい。

自分が何も考えずに快適に過ごせる場所ではないところに行き、電車に乗れない、レストランで注文できない、何もできない赤ちゃんみたいになりに行くのだ。慣れた場所にしかいないとすべてが無意識の行動になってしまって目が曇る。

「目を洗う」のだ。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。