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ふぐとハレーション:写真の部屋

時間さえあればYouTubeでカメラマンの撮影風景動画を見ているんだけど、今の時代は真剣に学ぼうと思えば、世界中の人々が教科書を開いて教えてくれるからいくらでも学ぶことができる。それも無料で。

ある若者に、「人物撮影のライティングはこの動画が参考になるよ」と伝えたら、「英語じゃないですか。無理です」と言われたことがある。スタジオのセッティングなんかよく見ていれば無音だって理解できるはずだ。それにわかりきっている用語しか出てこない英語がわからないというのは理由にならない。

いつも思うんだけど、学ぶ方法を知らない人は「地図を持たずに歩き出す人」だと思う。そんなのは勇敢でもカッコよくもなく、ただの怠惰だと言える。その若者に言えることは、写真を仕事にしたいのに技術を学ぶ気はないんですね、英語もわからないと言って学ばないんですね、ということだ。学ぶにはひとつの判断基準しかない。「何かを理解できるまでやった経験があるかどうか」だ。

ふぐを調理して客に提供するために「ふぐ調理師免許」が必要なのは、生命の危険があるからだ。技術を学ばずにふぐを調理することは殺人行為にすらなり得る。それを写真に置き換えると、数十年前まではフィルムを使っていた。現像するまで写っているかどうかがわからないフィルムに完璧な像を残すためには、ふぐの毒を完全に処理するような専門技術を学ぶ必要があった。

デジタルになってその場で結果がわかるようになり、生命の危険とも似た「失敗」を回避できるようになったことで写真はいつしか専門技術ではないと見られるようになってきたんだけど、それは無毒な魚を料理しているのか、ふぐを捌いているのかの判別が料理人にも客にもつかなくなっているだけだと感じる。アジの開きができたから次はふぐに挑戦だ、というのは無謀であり危険なのだ。

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今、懐古的にフィルムを使いたがる人が増えている。

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写真の部屋

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。