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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2020年5月の記事一覧

彼女が隠したかったモノ:写真の部屋

『ロバート・ツルッパゲとの対話』で、地方から東京に出てきた女性が、部屋をイタリアン・モダンの家具で統一していた話を書いた。 「出発点と目的地がどこか」がわかってしまうと興味がなくなるものだ、という意味で書いたのだが、彼女は「自分の生まれ育った場所は何もなくてダサくて、だからオシャレに暮らしたいのだ」と言った。 これは写真の話だけでなく、何かを作るときの心の持ちようとして説明がつく。出発点に「劣等感」があると「優越感」に向かいやすい。過去のダサかった自分を憎悪することから歩

排除のデリカシー:写真の部屋

ここは有料の定期購読マガジンなので、具体的な「得」も必要かなと思っております。 アートディレクターの立場で写真を見せてもらうことを数十年やっていた経験から、自分の写真を誰かに見せるときはものすごく緊張します。いい写真であるとか、よくない写真である、というような抽象的な判断は、廊下のずっと奥の突き当たりにあります。 だからほとんどの人はそこにたどり着かない。「門前払い」というのはうまい言葉ですよね。では、どういう写真を見たら門前払いで、どういう写真なら廊下の奥にたどり着ける

写真のレシピ:写真の部屋

たとえば、こういう写真を撮っているとする。 写真には自分で変えられる条件と、そうでないものがある。変えられないことは仕方がないとして、変えられる、選択できる条件はベストのものを選ばなければいけない。

写真には写らない:写真の部屋

ブルーハーツみたいなことを言ってますけど。 写真を撮るときは、見たモノに反応していると思いがちですけど、実はそうじゃなくて「自分が見たいモノ」があったときに反応しています。 この違いがわからないと進歩しないから困るんですが、何年も前の写真を見てみると、今の自分では理解できないモノを撮っていることに気づくと思います。ではなぜそのとき撮った理由がわからないんでしょうか。

彫刻を撮る:写真の部屋

写真の8割以上は、写っているモノの善し悪しで決まる。こういう言い方をすると「僕はそうじゃないと思う」と反論したくなるだろうけど、そうなんだから仕方ない。他人に反論する前には、自分が普段それと同じことを言っていないかを検証するのが一番簡単だ。 あなたがもし、友人に「渋谷で新垣結衣さんに会って、一緒に写真撮ってもらったよ」と言われたとする。「見せて。わ、本当だ。スゴいね」なんて言うはずだ。このとき写真の構図がいいとか、フォーカスや露出の話なんか全然しないよね。 つまり、ガッキ

課せられた義務:写真の部屋

写真家には「課せられた義務がある」というお話。 義務という言葉を定義すれば、権利を得るために最低限守らなければならないこと、になるだろうか。面倒な義務を放棄する自由もある。あるけど、その場合は「権利を主張できない覚悟」がワンセットだ。 だから権利を主張している人から義務の不足を感じると、信頼を失う。写真に関して言えば、膨大な義務が存在する。徒弟制度があったときは、それができないと師匠や先輩に怒られるから否応なく憶えたのだが、自分で突然始めた人は義務の存在を知らずに大きな失

卒業アルバム:写真の部屋

人物を撮るときに、見せたい部分が見えているなら1灯だけのライティングにしたいと思っている。 人物のスタジオ・ライティングを教える人は、だいたい2灯もしくは3灯を基本にしているんだけど、太陽は『スターウォーズ』を除けばもちろんひとつだ。自然光を基準にするのは「見慣れた方法」に準ずるという王道で、実際には起きない環境を作り出したことで生まれる違和感という表現方法もあるが、それはあまり好きではない。 光源がひとつである太陽が作り出す「自然光」には実際には多くのバリエーションがあ

写真の場所:写真の部屋

この前の写真の場所はどこでしょうか、という質問があったので。 Quai Voltaireから、ルーブルの端っこを見たところですね。

三枚(四枚)の写真:写真の部屋

ここに、パリで撮った三枚の写真がある。 なんてことはない写真。 そして二枚目。これも「だからどうした」という写真。 三枚目。 さて、ここで何かに気づいた人はかなり「写真を見る能力の高い人」だと思う。もし俺がこの三枚を見せられても、「だからどうした」としか思わないだろう。でもね、デジタルテクノロジーの進化がこれを可能にしたと思って次の写真を見たら、ほとんどの人は驚くと思うのだ。 写真に収められている情報を取捨選択するとき、写真家は必要な部分に注目し、不要なところはカッ

RAW現像:写真の部屋

病理医ヤンデル先生が、写真の撮影と現像について、写真家の幡野広志さんと話していたのが興味深かった。その比喩が文章の書き方にまで及んだりして。 デジカメで撮ったRAWファイルは「計測データ」だと思っている。カメラという計器が風景をスキャンして取得した無味乾燥なデータ。それを「写真」にするためには現像が必要になる。 わざと大げさに現像した写真がある。 一番左が、RAWを無加工で展開したモノ。白は飛ばず、黒は潰れず、あらゆる部分に破綻が起きないようにデータが記録されている。こ

誰が撮っても同じ:写真の部屋

写真は誰が撮っても同じ。そして全部違う。この簡単な二律背反を、つねに真剣に考えている。 俺が仕事で使っているカメラはヨドバシやビックカメラで売っているごく普通のモノ。誰でも今すぐに買うことができる。中には数百万円するカメラもあるけど、いつもそればかり使うわけじゃない。 だから、カメラ屋さんでカメラを買えば、誰でも同じことができる。それがスマホであってもいい。スマホで映画を撮った映画監督もいるから。 じゃあ、何が違うかと言えば、基準はただひとつ。「撮って欲しい」という他人