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彫刻を撮る:写真の部屋

写真の8割以上は、写っているモノの善し悪しで決まる。こういう言い方をすると「僕はそうじゃないと思う」と反論したくなるだろうけど、そうなんだから仕方ない。他人に反論する前には、自分が普段それと同じことを言っていないかを検証するのが一番簡単だ。

あなたがもし、友人に「渋谷で新垣結衣さんに会って、一緒に写真撮ってもらったよ」と言われたとする。「見せて。わ、本当だ。スゴいね」なんて言うはずだ。このとき写真の構図がいいとか、フォーカスや露出の話なんか全然しないよね。

つまり、ガッキーと一緒に写真を撮ったのだという「証拠の存在」に驚いている。ガッキーでもベッキーでもいいんだけど、皆にとって価値がある存在が写っているからいいのだ。写真としての価値ではない。

「見て見て、新橋でコピー機の営業のおじさんと一緒に写真撮ったよ」と言われて、ガッキーやベッキーの時と同じに盛り上がれるだろうか。その写真を50枚くらいスマホで見せられたら「それがどうしたんだよ」と不機嫌になるだろう。

ガッキーとコピー機の営業のおじさんは何が違うのか。それは「唯一の存在かどうか」という一点のみ。ガッキーやベッキーは世の中にひとりずつしかいない。だから価値がある。「コピー機の営業」とジャンルで言われたらそれは概念としての存在だから、抽象的すぎて興味を持たれることはない。

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「唯一の存在であるモノを撮れば価値になる」という写真のひとつの側面。それは戦場での報道写真のあり方などにも近い。

「美を売り物にして唯一の存在になった」という複合技が俳優やモデルなんだけど、「いいモノが写っていればいい写真になる」という点で言えば、美しければ有名でなくてもいい。

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写真の部屋

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。