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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2022年1月の記事一覧

コメントなんていらない:Anizine(無料記事)

Twitterに、「私に言わせれば、東欧におけるNATOの勢力拡大は賛成しかねる」みたいなことを書いているおじさんがよくいて、そう書くのは勝手だが、誰かそれを読んでいるんだろうかと疑問に思う。こういった人は何かのニュースを見るとひとこと言いたくなる病気だ。黙っていられない病。 ネットでは多様な受け取り方をする人の存在を学べるから好きなんだけど、この手の人は何も新しいことを言わないし、面白いことを言わないし、鋭いことも言わないうえ、攻撃しなくてもいい相手を攻撃するし、誰かに突

草の鉄格子:Anizine

2年にも及ぶこの状況の中、考えることは多い。今まで生きてきて「禍」という場面に出くわしたことがなかったが、これをポジティブに受け取ることもできるかもしれないとも思った。 2020年の頭までは思い立ったらどこにでも気軽に出かけていたことを思い出すと、鉄格子がないだけの刑務所にいるような気さえして来る。耐えられないのは自由を制限されることだと再確認するが「自由」というのは曲者で、それを手に入れるために不自由な日々を我慢したり、実感できなかったが失って初めて気づいたりするもののよ

言語による同一性:Anizine

毎日数時間、英語の勉強をしている。まったく偉くない。若い頃にちゃんとやってこなかったから居残りで補習をしているようなものだ。 語学というのは頭がいい悪いとは無関係だ。誰でも三歳になれば複雑な文法を使って母国語を話す。その言葉の組み合わせによってもたらされる内容が、バカか利口かの違いだけだ。俺が「抽象性のある内容」を英語で説明できるようにしたいと思ったのはつい最近のことだった。買い物やビジネスの場で使う語学はただ正確に意図が伝わればいい。キャベツをくださいとか、来月の10日ま

家族のアルバム:Anizine(無料記事)

(追記:表現を仕事にしてる人が、に限定しようかな) ペット、恋人、家族、の話というのは他人からまったく興味を持たれることのない独り言のコンテンツだと思っていた方がいい。その手の話題を面白おかしく話すためには芸がいる。「うちの子がこんなに可愛い」という親の愛そのものは何にも代えがたく美しいものだが、自宅のリビングから外に出した瞬間にコンテンツとしての完成度を求められる。 経済や政治や芸術について正鵠を射る発言をしながら、つまらない孫の話を長々と書く人もいる。これが「親バカ」

家庭用のドライバー:Anizine

ラジオの番組で岡田准一さんに「生きるとは何ですか」と聞かれたとき、自分でも思ったことのない答えを言った。俺の口をついて出たのは「無駄にしないこと」だったんだけど、具体的にそう言葉にしたことはなかった。 ある人と話していて、その人は自分がやっていることを一生懸命話しているんだけどまったく耳に入ってこなかった。窓の外を見ながらなぜかと考えていたんだけど、その人は夢を語っているのにまるで「努力」していないからだとわかった。努力至上主義のようにストイックなことではなくて、やるべき何

お年玉の続編:Anizine(無料記事)

先日、仕事場の近所のコンビニ店員の話を書いた。ネパールから来ている若い男性で買い物に行くといつも挨拶し、客がいない深夜などにはちょっとした話をする。日本の風習を知ってもらうために店でお年玉袋を買ってその場でお金を詰め、彼に渡した。当たり前のことだけど、誰かに何かを渡すときに「してあげた」と主張する野暮なことだけは絶対に避ける、という江戸前の作法は守りたい。だから「お年玉だよ」とだけ言って渡した後にはさっさと帰った。 しかし待てよ、と思うことがあった。これもさらにデリケートな

名人の技:Anizine

スーパーで客を観察して献立を当てる名人と弟子。 ニンジンとタマネギを買った主婦を見て、名人は「カレー」と即答した。「いや、あの食材ではシチューの可能性もあるんじゃないでしょうか」と弟子が言い終わる前に主婦はカレールーを棚から取り、カゴに投げ入れた。 「まだお前はシチューとカレーのモチベーションの違いがわからないのか。修行が足りないな」と名人が言う。 しかし弟子にはもうひとつ疑問が残る。なぜジャガイモは買わないのか。そして驚愕の事実が明らかになる。

ズレていく:Anizine

ある人がFacebookに料理の写真を載せていた。素人とは思えないローストビーフで、「あの名店には及びませんけど頑張って作りました」と書かれている。そこについたコメント。 「美味しいそうですね」 これは何かと一瞬考えたんだけど、若者がやりがちな誤記で本人は「美味しそうですね」と言いたいのだ。これと似た「延々と」を「永遠と」と言う例もある。理由は文字で読んで言葉を知ったのではなく「音でしか聞いていない」からだ。 こういうコックローチーな誤記は誤用とも違っていて、会話では聞