私はバニシングツインだった。
バニシングツインとは
簡潔に言うと双子だと分かった後、妊娠初期や数週間後に片割れがもう一人(ここでいう私)に吸収されてしまうことです。
簡単に調べた為、違ったらすみません。
なぜ、私だけが産まれてきちゃったんだろう。
母からは
「妊娠初期だったからよくある事よ。」
「体が小さい私がもし双子だったら無事に出産出来ていたかわからないし気にしないでいいよ。」
「もう一人の分もちゃんと生きていこうね。」
小さいころに言われたのでニュアンスなどが違うかもしれないけれど、私はずっともう一人の命が自分の中にはいっているんだからちゃんと生きなきゃと思って生きていた10代だった。
現に中1の時、学校のベランダを眺めながら自死しようかと考えた瞬間「僕の分も生きて」と引き留めてくれたこともあった。
(男女の双子で産まれる予定だったから片割れは男の子)
私の中にもう一人の命がいるんだ。と生きるための命綱になっていたしなんとなく胸に手を当てると声が聞こえる気がしていた。だから嫌だと思ったことはなかった。
でも、姉に言われた言葉で、私がなんで産まれてきてしまったのかと自分を憎むようになった時期がある。
なんであいつが産まれたん?
もう一人が産まれてきたらよかったのに。
これは偶然、モバゲー(20代後半なら知ってるはず)の姉のアカウントを見つけた時に日記(今でいうツイート)を見てしまった言葉。
生まれつき発達障害の可能性を周りから示唆されていた私の行動や言動、うまく生きられない姿を見ていて、思春期だった姉は苛立ちと不快感があったんだろう。
でもいじめから不登校になって支援センターに行きだしたばかりの14歳の私にはあまりに苦しい言葉だった。
書いた時期はもしかしたら中学卒業前だったかもしれない。
だけどネットに残ってる事実が苦しかった。
いつ見てしまったか覚えてないけど、朝、1時間弱かかる山の上の支援センターまで泣きながら歩いたことを今でも覚えている。
確か、母に行かなくていいと引き留められたけど
「死んだりしないから。ちゃんと行くし連絡もする。外に出た方が気が紛れる。」
みたいなことを言って歩いて行った。
姉本人は絶対覚えてない今までの暴言の中でも一番苦しくて、どんなに家族でも姉妹でもこれは言ってはいけないことで、奇跡的に今でも生きている私をどうかこれを読んでいる人は褒めてほしい
思春期の幼い思考では生きてる自分を恨む事しかできなかった
片割れには名前がついていた。
「けんしろう」という名前で私だけが産まれた後に、観葉植物の名前に変わっていた。
26歳の今は自分という存在に関して疑問はない。
でも、名前もついていた事を聞くと、よくある現象だとしても色々考えるし姉に言われた言葉でさらにコンプレックスとなるのは仕方ないことだと考えている。
今でも迷惑かけるくらいなら生きていたくないと泣くのはこの言葉が起因かもしれません。
成長するにつれ考え方も成長し、今は気にしてなんかいないけど色々考えすぎたので「けんしろう」という名前は苦手だ。
終わりに
ただ、姉のおかげで学んだこともある。
言葉はひとを刺し殺せるし、言われた側の大きな枷になり、いつまたその言葉が私を死に至らしめるかわからない。
だからこそ、安易に言葉を発することに関してちゃんと考えるようになれた。
悪い意味でありがとうお姉ちゃん。
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