オリンピックとコロナ、矛盾した思い
最近のオリンピックに関する報道を見ていて、矛盾した2つの思いが生じました。
1つはわかるわかるって気持ち。
もう1つはもうやめてくれって気持ち。
1つ目のはわかるわかるって言う気持ちは、私が若者ゆえに思う感情だと思います。
コロナにおいて、若者に対する圧力や自粛要請が目に余るほど大きくあったと思います。
例えば高校生の部活禁止や、大学生の感染者発生における大学名の公表、若者は無症状であることが多いから移動するな、などなどです。
若者は若いから確かにフットワーク軽く移動することが多い。
無症状だから感染を自覚することなく、他人にウィルスをうつしてしまう可能性も大きい。
理にかなっているなと思う要請も多くある事はわかっています。
しかし、発言力の小さい学生に対する圧力は、目に余るものであったと思います。
話は変わりますが、香川県のネットゲーム依存症対策条例の事例を覚えていますか?
私はゲーム時間の増加による学力低下やゲームへの依存を高めてしまうことへの懸念している大人の思いもよくわかります。
しかし投票権を持たない若者に対するこのような大きな制限を課す条例を制定することにも疑問を感じています。
大人は子供を正しく教育する義務があるが故に、また、子供を正しく育てていくために、ある程度の強制力は持たないといけないと思います。
ですが、子供の立場からすると、大人からの強制は楽しみを奪うものに他ならないのです。
コロナの中、友達と買い物に行った。
友達とコロナに感染した。
大学名が公表された。
大学名が公表されるから、歩き回らないようにしよう。
この思考が働くと、コロナウィルスの広がりを抑制する効果があるとは思います。
でも方法が間違っていると思います。
話を元に戻します。
このような若者への特質すべき圧力や制限が今まであったことは事実です。
圧力や制限までとは言わないまでも、若者は不自由を感じていたと言う事実はあると思います。
なのにオリンピックは開催するのです。
自分たちには活動自粛しろと言いながら、確実に感染が拡大するであろうオリンピックを開催するのです。
若者の行動が活発化するのも頷けます。
今まで我慢してきた分、動き回りたい、オリンピックムードを感じたい、それは自然な心の働きだと思います。
だから私は、わかるわかる、と思うのです。
私も今は大学に登校することができません。
すべてリモートでの授業になり、友達に会う機会もありません。
身動きできない、楽しみのない、そんな毎日を送っています。
オリンピックくらい、心身ともに楽しんでもいいじゃないか!
わかるわかる!!
しかしもう一つの感情、もうやめてくれって言う気持ちもあります。
これはオリンピックが開催するか否かが問題かと言うより、オリンピックの開催が我慢の限界を引き起こしました。
今までコロナが始まって1年以上、自粛要請を守って過ごしてきた人たちの我慢はどうなるのでしょうか。
緊急事態宣言が出ている中で動き回っていた人たちのせいで、感染が一向になくならず。
ヨーロッパの国々のようにロックダウン状態にしておけば感染を封じ込めることができただろうに、動き回る人のせい、動き回らなくてはいけない仕組みのせいで、真面目に我慢してきた人たちの努力が報われていません。
みんなが一斉に一定期間だけ家の中に閉じこもって、動き回らずに静かに過ごしていれば、今頃感染拡大はここまで進んでいなかっただろうと思われます。
少なからず我慢してきた人たちの気持ちとしては、みんなが一斉に我慢していれば、この自粛生活はもっと短く済んだだろうと思っている人は多いと思います。
オリンピックが開催されたら、動き回りたいと言う気持ちは必ず水を得た魚のように活発になります。
もうじっとしていたくない。
もうやめてくれ。
ただでさえ私は、コロナになって数ヶ月でうつ病を患いました。
国の政策が悪いのか、国民の危機意識が悪いのか、私も弱い心が悪いのか、何が原因でこの不自由を味わっているのか。
私は詳しい事はわからないけれど、この矛盾した2つの気持ちを感じています。
どうやったらこの矛盾を解消されるのでしょうか。
ワクチンがもっと多くの人に打たれるようになったら解決するのでしょうか。
私はもっと素直な気持ちでオリンピック選手を応援したかったな。
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