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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その14

前回分はこちら


【332】
ウルスラの描いた絵が、角度を変えて・斜めから呈示されています。
これまでは絵を正面からとらえているので、同じ素材を使いまわしている(同一ポジション、いわゆる『同ポジ』)だと思われますが、これはさすがに『同ポジ』ではないですね。
背景さんが同じ絵を描き分けていますね。

この発見からわたしのアニメ研究は次の一歩へと進みました。



【333】
絵(である人物)が絵(キキの顔のデッサン)を描く。
この奇妙さ。
しかも「絵が絵が描く」とき、描かれる絵と描く絵は「様式」が違うことが多い。
描かれる(キキのデッサン)絵は「木炭クロッキー」だが、描く(ウルスラの手の)絵は「セル絵具」だ。
この奇妙さをもう少し突っ込んで書けたらいいのですが。



【334】
デッサン中。
人物以外の物体がすべて『背景』として処理されているのが特徴的。
キキの周囲も椅子の背(止め絵のセル画)以外すべて背景美術。
人物以外の物体もポイントで『セル』にすることが多い宮崎作品では珍しい。
「絵が絵を描いている」契機が大きいのでしょうか。
「描かれている存在(キキ)」以外を静態的に描写する(背景美術で処理をする)ということなのでしょうか。



【335】
あるいはドラマと関係があるかも知れませんね。
いまこのときキキは『告白~悩みの打ち明け』をしている。
告白に集中させるため、テーブルのワインやナイフの刺さったパンといった周辺情報は『背景』として『死なせてある』ということか?



【336】
キキの悩みに答えながらウルスラはスケッチブックのページを変える。
この一連の動作だけで「映画の仕草」として豊かになるし、セリフに頼ったただのドラマから脱する役割もあります。
スケッチブックを折りたたむ動作が「動きの新発見」でもありつつ、これほど丁寧に描かれたアニメはほかにないでしょう。



【332~2】
MatsuiShinya駒弐@ShinyaMatsuiさんのアドバイスがあり、このカットの背後にある油絵は、同一素材を使ったもの『ではない』ことがより明瞭になりました。
ウルスラの描くような『芸術絵画』は『一点もの』であるかこその価値性があり、『複製芸術であるアニメ』とは存在価値がぶつかりますね。


【332~3】
一点ものであるはずの油絵が角度を変えて何度も描かれ直す。
製作工程上で何度も『複写』が繰り返されるアニメが『一点もののオーラを消している』のか?
この作品上ではちゃんと価値が保持されていると思う。
これをどう考えるか?


【332~4】
この課題は、ちょっといまのぼくには大きすぎます。
もう美学哲学の領域ですね。
課題にさせてください。



【337】
アニメの『絵のなかに別の絵がある』例です。
『トトロ』から。

次『風立ちぬ』から。

油絵具という素材とは異なるセル絵の具による血がしたたり落ちる「様式の違うものの共存」

同じ『風立ちぬ』から製図する場面。

製図が想像上で動いている面白い例です



【338】
就寝前の語らい。
ここでも人物同士が「L字型(90度に向き合った態勢)」に配置されていますね。
演劇の演出の基本に、2人の会話・対話でいかに『真向い』にならない工夫をすることが鉄則なのですね。
でもそれだけではない、『空間への美意識』が宮崎さんにはあると思っています。



【339】さきほどと同じカットですが、別の角度から説明してみましょう。
ここにも『空間の奥行き』を生み出すための『3層構造』が仕込まれていますね。
①奥:ログハウスの壁
②中間:ふたりの姿
③手前:画架や絵筆』。
この「手前の絵筆」を入れるだけでぐっと奥行きが増していますね。



【340】
『ランプ』がカットでの内容・質・役割に応じて、背景美術で描かれたり(上)、セル画で処理されたり(下)と臨機応変です。
こういう描き分けは演出的な『職人技』でもあれば、『美意識の実現』でもあると思います。



【341】
ここのキキの、額から頬にかけての『球面的なフォルム』は、『千と千尋の神隠し』のこの輪郭を強烈に思い出します。
『球面の魅力』とはアニメ・作画にあって、『表面張力をいかに描き出せるか』という課題と関わっていると思うのです。



【342】
すごくわかりづらいですが、ウルスラはコップを揺らしています。
ほんとうに些細なアクションなのですが、こだわりを感じさせます。
作画としては、こういう動きはどれほどの難しさとやりがいがあるのでしょうか?



【343】
ランプの火が消され、闇の中に。
個人的には暗闇のなかのキキのリボンの色はちょっとピンクが強すぎる印象があります。
あと、キキは外出先での就寝時にはリボンを外さない癖があるようです。
自室の下宿の時はちゃんとリボンをはずしています。まあ、他愛無いトリビアです。



【344】
オソノさんがキキからの電話を受けています。
ドア越しの階段を上がったところからの、やや俯瞰視点。
こういうアングルは珍しいですね。
おそらく直前のショットの、2階の居間にいる旦那さんが電話に聞き耳立てている、という設定につなげるための視点だと思います。



【345】
道端の電話ボックスから電話をかけているキキ。
これも実は背景美術に面倒くさいことさせてますね。
①キキの前面の電話ボックス部分と
②背後の電話ボックス部分とを、分割させて描かれています。
でないと、どうやってセル画のキキは電話ボックスのなかに入れられますか?



【346】
この赤い路面電車の光沢感、いいですよね。
ぼくは、こういうジブリトリビアはあまりしませんが、路面電車に『KUMADENⅡ』とありますね。
何か由来のある名前なのでしょうか。
緻密な背景の真ん中にどすーんと、セル画感があふれていて、好きです。



【347】
あらためて赤い路面電車。
ふたカット並べたのは、発車した電車の窓ガラスがちゃんと光沢を変えていってる細かさを見て欲しかったので。
あと、画面手前へと延びている線路軌道が『斜め奥』方向へ『湾曲』しているのも、宮崎さんらしいこだわりのレイアウトですね。



【348】
ここで注目ポイントはテレビですね。
ここでもまた、『絵(アニメの画面)の中に、もうひとつの絵(テレビ画面)がある』という、「入れ子構造」ですね。
一度、こういう見方に慣れてしまうと、どうしても、こういう『絵であることへの注意』が増してしまいますね…



【349】
この小間使いのおばあさんは、先の電話ボックスと違い、背景の輪郭線に沿って、その姿が切れ込んでいます(「クミを切って」あります)。
左が、部屋の出入り口の枠に沿って半身が切れて、右はケーキの箱に乗せるテーブルの輪郭に沿って。テーブルはブックっぽいですね。



【350】
箱を開けたら『KIKI』の字の彩られたケーキ。
これも食べ物のセル画ですから『ジブリ飯』ですよね。
台紙の細かいレース模様。キキの字の左上にある緑の木の光沢。ホワイトチョコに赤いリボンも効いていますね。



【351】
老婦人の好意に泣きそうになりながら、気丈にふるまってみせるキキの表情、七変化(3変化)。
『魔女』での・こういうぼくの切り口、多いですね。
『魔女』って、表情の微妙なニュアンスでみせる側面が、ほかの作品より多いような気がします。



【352】
気球船の中継が大風で大混乱の様子のテレビ中継。
いま細かく確認すると、
①中継の映像=Aセルで
②画像の乱れ=Bセルになっていて
Bセルは二、三回、使いまわしていますね。
ほんと、これ、『アニメの中でもうひとつのアニメ』が展開していますね。



【353】
テレビの中継に見入る3人。
これ、ちゃんと、
①手前=小間使いのおばあちゃん
②中間=老婦人
③奥=キキと、見事に3層構造をつくっていますね。



【354】
テレビクルーにぶつかりに来る気球船。
ちゃんと現地に2台のカメラクルーが来ていて、スイッチバックする、という細かい設定。



【355】
気球を襲った暴風が時間差でお屋敷にたどりつき、窓や外の木立を揺らす。樹木がセルで処理されていて『背景動画』になっています。



【356】
気球を引っ張り、地に戻そうとするひとびとの群れ。
ここの『引っ張られた群衆』の生き生きした『作用と反作用』がみどころです。
が、ここからがこの作品のクライマックスになりますので、今回はここまでにします。


その15でお会いしましょう。

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