夜の大人たち~ジブリ私記22
1~哲学でなく、行為へ:ドキュメントへの提案
ジブリに入社して3ヵ月のあいだのうち、各部署へ回されたのが2ヶ月間、ぼくは3ヶ月目にしてようやく、本来の演出助手として配属された。
演出助手の仕事については以前書いたとおり【こちらの記事参照】。あらためてざっと説明すれば、演出助手の仕事は各部署からあがってくる各工程の素材を手にして、基本的演出上のチェックをして、問題なければ監督・演出に最終的判断をあおぐべくその素材をつぎの段階へ渡していくのでした。
あがってくる素材は作画だけでなく、あるいはたとえば、背景美術のあるシークエンスが出来上がると、その仕上がり具合を監督に見せるために美術監督がメインスタッフブースへ現れて、ブースの中央に据えられた長テーブルの上へ出来上がった背景をずらずらっと並べて、宮崎さんが美術監督に修正の指示を出したりしているのを演出助手は(それも任務のひとつとして)遠巻きにして見ながら、修正する箇所だったり・後の工程で再度チェックに注意が必要な箇所があれば頭の隅においておいて、その修正指示されたポイントを自分の絵コンテにメモを残したりしました。
作画打ち合わせのときも遠巻きに参加して、絵コンテに書かれていない指示を監督が出せば、自分用の絵コンテに書き込んだりしました。
ジブリ作品で定着したのでしょうか、作品が完成・上映されると絵コンテが発売されることも多くなりました。
絵コンテは、でも、素材を完成させるための「補助的な役割」に過ぎないことに注意が必要です。
たとえば先ほど述べた「作画打ち合わせ」とは、担当するパートのアニメーターが監督から、絵コンテを叩き台にしつつ、絵作りのより細部なり狙いなりを伝える打ち合わせのことです。
打ち合わせに立ち会っていると、絵コンテは完成された画面のほんの一部しか情報を与えていないことがわかります。絵コンテとは作品を実現する上での大まかな輪郭のようなものに過ぎません。
あと宮崎作品が新たに作られると、そのたびにどこかのテレビが密着取材するのですが、たとえばあるアニメーターがあるパートを「作打ち」(作画打ち合わせ)したところからドキュメントとして撮影してみて、その後、それらの打ち合わせがどう発展して・原画や動画になり、さらに仕上げに回って色がつき、さらに背景とセルが組み合わされる形で撮影されてラッシュ(その部分だけ完成した画面・フィルムのこと)になっていくか、そういう一連の過程を追う、ということをなんでしないのかな?と不思議に思うのです。
宮崎さんが机で作業しながらボヤいたり、哲学めいたことを言ったりしているのを嬉々として撮影しているドキュメントって、アニメーションというものを根本的にわかっていないに等しいと思うのです。
場合によるとその撮影者は、自分だけ宮崎駿のプライベートな思索に寄り添っているのだと特権的な位置に立ったかのような高揚感に包まれ、それがいま作っている作品の神髄に迫れたような気になってしまっていて、つまり大いなる錯覚でもって作品のドキュメントを、狭く偏った形でつくってしまっている場合が多いのだと思います。
たとえば『君たちはどう生きるか』で、シロサギからむくつけき中年男の顔が出てくる意味なんて、宮崎さん本人に聞くより気の利いた映画評論家のコメントに耳を傾けた方が真実にせまった答えが聞けるだろうし、そんなことを詮索している間にもシロサギは、ある瞬間3コマ打ちからフルアニメへと変貌しつつなめらかに飛翔して、さらにシロサギが降り立った塔の先端にシロサギの足元が隠れているのは「部分ブック」か「組み線」なのかなんて、そういうことを気にするドキュメンタリストはいないわけです。
ドキュメントを撮る者の多くは「哲学」を知りたがって、「表現の形」に気を使わない。
作品を詮索するにあたって「表現の形」より「哲学」へ目を向けてしまうのは、ドキュメンタリーに限りません。文学者だって評論家だって同じ穴のムジナです。ドストエフスキーの『悪霊』の哲学性を論じたてることには文芸評論家は元気だけれど、冒頭に登場する脇役ベルホーベンスキー伯爵の100ページ以上にもわたる、微苦笑を禁じ得ないそのプロフィールの描き方の天才性を語り落としているようでは、「まだまだ世の中は頭でっかちですなあ」と言うしかない。
2~夜の大人たち:作画拝見
そうやってメインスタッフブースには監督に素材の出来具合をたずねに(哲学ではなく、作業の工程を尋ねに)いろんなスタッフが訪れてくる。あるいは制作進行が(マネジメント的に)工程の終わった素材を指定のスチール棚に置いていくと、それを演出助手はすきを見て手元に持ってきて素材のチェックを職務の一環としてチェックを行ったりする。
ぼくは研修生時代、そういう光景をまだ見始めたばかりだ。直属の演助上司にやり方を学びながら素材のチェックの仕方をおそるおそる学ぶ。
当時はアナログだ。紙で作画はあがってくる。原画の段階ではまだ薄い作画用紙の束が黄色のタイムシートをふたつに折った間にはさまれて渡されてくる。その素材を、タイムシートと原画が番号どおりに合致しているかとか、セルの重ね方に不備はないかとか注意しつつ、あるいは絵コンテとそこに記しておいた作画打ち合わせ時に出た注意点もチェック材料にする。
それでもまだ研修期間だ。ほかの同期の研修生、たとえばアニメーターの同期は午後6時になると定時ということで帰っていく。急ぎの仕事もないベテランスタッフも帰っていく。
残業して居残ることに決めたスタッフたちは外へ外食に行ったり、あるいはあらかじめ注文しておいた仕出し弁当が到着しているので1階ダイニングで食べに行ったりする。
午後7時、あるいは8時になると、スタジオは閑散としてくる。しかしフロア全体は煌々と明かりがついている。居残りしたアニメーターが、やはり居残っている親しいアニメーターの机に近寄りボソボソと話しかけたりしている。
昼のスタジオにはない、「大人の隠れた生態」を見ているような気分に、まだ若造でしかないぼくは感じた。
「夜の大人たち」の生態の最たるものは、居残ったアニメーターが先に帰ったアニメーターの机に近づくと、作業中の作画カットを机の棚からぞんざいな手つきでざっと手に取ると、何の悪気もなしにぱらぱらと、作画の出来具合を見ることだった。
その様を見るたび、ぼくは何かいけないものを目撃したような気持ちになっていた。
でも、先に帰ったアニメーターの机を物色して、作成中のカットの出来具合をほかのアニメーターが確認することは、むしろスタジオとしては奨励している行為になっていた。ほかのアニメーターのカットを吟味して盗み見ることは、アニメーターが研鑽を積むうえでとても大事な行為のひとつだった。特に外部から呼ばれた実力派の助っ人アニメーターの作画は、若手社員アニメーターが二、三人集まってはぱらぱらとめくりながら品評しあうさまがよく見ることができた。
ぼくも試しに帰ってしまったアニメーターの机に近寄って、その作業中のカットを手にしてぱらぱらとめくって見たが、どうにも居心地が悪い。「盗み」見ているという、罪悪感がつよく残ってしまった。あるいはぼくはアニメーターではないので、作業中のカットを盗み「見てとる」実力がなかったから、「畏れ多い」ような気になってしまったかもしれない。
基本的に机の棚に置いてあるブツは、他人が見てもOKという暗黙の了解が(ジブリの場合に限っても)ありました。
在職中、結局ぼくは、他人の机を物色する癖を身に着けるということが、違和感があって、できないままに終わった。
一度などは、ぼくが他の作業にかまけて机を離れて、帰ってくると、自分の机の棚に置いておいた覚え書き用メモ帳を見ているアニメーターさんがいて、油断ならないなあと思ったものだ。
まだ制作スケジュールが逼迫していないころ、夜のスタジオは昼の様相とはちょっと違う、大人の遊蕩した感じが漂っていた。ぼくはそんな時間のなか、笹木信作さんと差別定義論争をしたり、安藤雅司さんから意外な映画へのこだわりを聞いたりしたものでした。
だから、アニメ残業を総じて否定的になれない自分がいます。そこにはスタッフ同士の「遊蕩した時間」がまぎれもなくあり、どちらかというと社交下手が多いアニメスタッフたちにとって「肝胆相照らす」貴重な時間だったりする。
残業代は、って?出しゃいいじゃないかですか。そういった遊蕩の時間もスタッフが成長・成熟していく「先行投資」の時間なのですから。
3~指パラ・紙パラを「記述」する
この記事の最後に。
夜のスタジオで他のアニメーターのカットをぱらぱらとするのを思い出すたび、作画作業で必須な(紙の場合)「パラパラやる仕草」のことを思い出す。いまネットで調べると「指パラ・紙パラ」と言うのですね。
紙パラ・指パラの行為を文章で表現してみたい。
そうですね……。
利き手にもよりますが、右利きの場合、左腕で赤ん坊を抱えるようなイメージで、左手の先で作画用紙の束の頭をつかみつつ左手上腕部に用紙を寝かせます。
左腕の肘の屈曲した部位に作画用紙の下端があって、そこへ右手親指で用紙の束の底を添えて手前に持ち上げ、一番上の用紙へ人差し指から薬指を添えます。
右手親指の力で持ち上げた紙の束を、親指が(用紙一枚一枚の)重みから親指から離れるようにして「重みに従ってゆっくりと・落下へと解放して」用紙が下へ連続して落ちていくようにしてあげます。
目は右手親指の解放にしたがって、重みにより束から離れていく一枚一枚の紙の連続運動を追って、その紙の表面上に描かれた絵の「差異」(似通っていて/細かな違い)を確認していきます。
あるいは親指に力をいれつつ右手指でやや強くつかんでは、紙の束の一枚一枚のずれを親指で感じ取りながら、一枚一枚をつぎつぎと解放して落下のスピードを調整したりします。
第三者的な視覚的でみると、下記のリンクのような動画のようになりますね。
こうやって動画で見れば一目瞭然なものを、わざわざ文章で表現するとはどういうことなのでしょう。
実際に書いてみてわかるのは、「説明」とは「物事の『認識』が反映されるものだ」ということです。
まず紙パラ・指パラをしているとき、アニメーターは何を見ているかというと「同じものが、異なっていく」様を確認する作業だと(ぼくは)理解していることが明らかになりました。
そして左上腕を使って作画用紙の束を寝かせる様子が、「赤ん坊を抱いている」様に似通っているという(自分の)認識が発見され、「赤ん坊を・抱く」という独特の感触へとアナロジー(類推)をつなげていることがわかります。
そしてパラパラする行為とは「押さえていた親指をかすかにずらして・紙自体が持つ重さ、つまり重力に従って、下方へ連続的に落下させていく」様子だと特色をつかまえました。
これはもちろん「認識のひとつの態度」であり、ひとによって(特に専門のアニメーターに応じて)「説明の仕方が違う」ことでしょう。それはまた指パラ・紙パラの何に特徴を見出しているかの「違い」(認識の違い)だったりします。
4~おわりに
今回は本来書きたかったのは、アニメスタジオが夜になると様子が変わることだったはずなのですが、それを書き終えるころには紙パラ・指パラの動作をどうしても描写したくなりました。
しかしいまぼくにとっての「回想記」とはこういうものになりつつあるようです。それはぼく自身にとっても予想外なことです。書き継げば書き継ぐほど、予想外な方向へふくらんでいくこの回想記。楽しんでいただければいいのですが。
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