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言葉で気持ちを語るより豊かな感情表現 「リズと青い鳥」感想と解題その5

「リズと青い鳥」の感想と解題ももう5回目です。今回はまず原作の小説において、みぞれと希美の表情についてどう描写されているかに注目します。これは希美の視点での文章なので、実に巧妙に第三者からの眼で見た感じが隠されていることにも注目です。

希美が見る自分の表情は

小説から引用します。

鏡に映る自分と目を合わせる。(中略)冷えた視線を向ける自分自身に、希美はニッと笑いかける。口端が引っ張られ、磨いたばかりの白い歯がのぞく。楽しそうな顔だと思った。
(中略)
意気揚々と登校した希美に対し、みぞれは相変わらずの無表情だった。(中略)感情の灯らない瞳は、深海の底を思わせる。静寂をたたえるその眼差しがこちらを映すたびに、希美の心臓はざわざわとくすぐられた。本能を歯ブラシでこすられたような、曖昧な嫌悪が全身を舐める。

響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章 後編 P.9

改めて読んでみると驚くような描写があります。このような描写からは「リズと青い鳥」冒頭の登校風景とはかけ離れた印象を受けます。しかし、この文章にあることこそが希美にとってのリアルでもあります。
希美がこのような表情になっていくのは、映画の後半、みぞれが新山先生に音楽大学への進学を勧められたと知って以降です。この話以降、希美は気が付くと沈んだような、曇ったような表情をするように、そして笑顔は貼り付いた紙で出来ているかのような作り笑いになっていきます。

本当に彼女は無表情なのか

それに対して、映像で観るみぞれの表情は、とても無表情とは言えないほどに表情豊かに描かれています。特に驚くときのみぞれの表情は、その感情を隠そうともしておらず、好ましく思えます。ただ、表情の変化が非常に繊細に作られているので分かりにくいといえば分かりにくいのです。そして、例えば「うれしい」とふと漏らした一言には表情が追いつかないのです。
彼女は、言葉で感情や気持ちを伝えるのに苦労していたり、言葉に感情を乗せることが難しい様子で、言葉に詰まったりすると髪の房を触るくせが出るようです。

みぞれは感情のアクセルを踏んだ

本作のクライマックスに差しかかる場面での「第3楽章の通し練習」場面で、みぞれはこれまでとは打って変わって情感豊かにオーボエでソロを歌い上げます。このことを指して「リミッター解除」つまり「ブレーキを外した」と、希美だけでなく多くの部員たちも、そして観客も思ったようです。

しかし、実情を考えると、私にはそれまでの演奏が「ブレーキをかけていた」のではない、と、私には思えます。みぞれは希美が信じられないからブレーキをかけていたのではなく、自分がリズの気持ちになれなかったために「アクセルを踏んでいなかった」のです。

自動車特にAT車は、ある程度アクセルを踏みっぱなしにしていないと、勝手にスピードが落ちていくのです。エンジンブレーキともいいますが、みぞれは「リズに感情を重ねられなかった」ために、そのアクセルの踏み方を躊躇していた、というわけです。このことはみぞれの口から数度にわたって述べられていることです。

新山先生の言葉を受け、みぞれは青い鳥の感情を思い起こし、それを演奏に乗せることに成功します。このとき、彼女はそれまでよりも思いきってアクセルを踏むように、演奏に感情を乗せるのです。その結果、感情が濃縮されたような見事な演奏ができあがった、と言えるでしょう。

今回はこのあたりで。

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