1.神話の名が示すもの
遥かなる記憶
北欧神話をご存じだろうか。
オーディン、トール、フレイヤといった神々が活躍し、戦乙女ヴァルキュリア、世界樹ユグドラシル、最終戦争ラグナロクなどの要素が彩る、北欧の古い物語である。
ストーリーを知らなくても名前に聞き覚えがある人は多いだろう。
では、これらが元々「古ノルド語」という言語の語彙だったことを知っている人はどれくらいいるだろうか。
主に中世北欧で使われていた古い言葉で、英語とも極めて関係が深い。ヴァイキングと呼ばれた人々が使っていた言葉でもあった。
しかし初耳でもまったく問題ないので、どうかひとつ聞いてほしい。
これから話すのは言葉の話。
そして名前が示す遠い記憶の話である。
エルフの世界「アールヴヘイム」
北欧神話の宇宙を構成する世界のひとつ、妖精の住む領域を古ノルド語ではÁlfheim-「アールヴヘイム」という(『Snorra Edda』Gylfaginning, 17)。
(これは語幹で独立の語としてはÁlfheimr「アールヴヘイムル」が基本形扱いになる)。
そこでひとつ聞いてみたい。
この前半のálf-「妖精」が英語のelf「エルフ」と、後半のheim-「世界,国」がhome「家,故郷」と語源が同じだといったら、あなたは驚くだろうか?
これは私の独創ではない(álf-, heim-の語源については下宮・金子2005, p.125, 141参照)。「アールヴヘイム」はいわば「エルフホーム」のような構成の語だったのである。
(ただし元は同源でもheim-とhomeの意味は二次的に少し遊離しているので、英語での翻訳借用時にはElflandなどとされることが多い)。
語源に残る歴史
なぜ同源だとわかるのか?
だとすればそれは何を意味するのか?
興味を持ってもらえたのなら、是非続きを読み進めてほしい。
その問いはまさに言語学の出発点になる。
先に言うと、上の例は偶然だからでも外来語だからでもない。
「アールヴとエルフは語源が同じ」という情報は単体の豆知識ではない。
古ノルド語と英語は元々1つの言語だったのである。
偶然と外来
別々の言語に似た形と意味の言葉があったとしたら、理由としてすぐ浮かぶのは次の可能性だろうか。
これが起こるのは人が使う言語音の種類に限りがあるからである。
直感的にもわかりやすいだろう。
これも当然の話だろう。
擬音語や外来語などの研究にも大きな意義があるのだが、情報過多を避けるために別の記事に回す。
古ノルド語と英語
では古ノルド語のálf-, heim-と英語のelf, homeの関係はどうだろうか。
もし語源が同じなら外来語なのだろうか?
確かに古ノルド語と当時の英語(古英語~中英語)は近い地域で使われていたし話者の接触もあったので、語彙の相互借用は多かった。
現代英語のtake「取る」は古ノルド語のtaka「取る」を継承したものだと考えられている(EtymOnline, 古英語にも別語源の同義語nimanがあったが、併用を経て廃れた)。
完全な置き換えとまではいかなくても古ノルド語形の影響で語形が多少変わった語もある(後述)。
しかし他にも可能性がある。
古ノルド語と英語は元々1つの言語だったという解釈である。
これは言語学者の間で広く認められている(清水2010, p.4など)。
(「1つの言語」という概念は大まかな言い方だが、これはいずれ解説する)。
言語系統と同源語
この系統説によれば過去に両者の共通祖先に当たる謎の古代言語――ゲルマン祖語が存在し、そこから古ノルド語と英語が枝分かれしたと解釈される。
álf-とelfやheim-とhomeの共通性は祖語時代の語根がそれぞれ受け継がれたことによって説明される。
なおálf-には母音が短いalf-という形もあるが、これらは方言差とされる(後に一部方言でaが長くなった。音の違いはSturtevant, 1953, p.457を参照)。
また古ノルド語ではheim-の語義が「世界」にシフトしたため、「家」には派生語のheimaが使われる(EtymOnline)。
他にも様々な例がある。北欧神話の人間が住む世界Miðgarð-「ミズガルズ」のmið-「中央」やgarð-「庭,囲い地」は英語のmid「中央」やyard「庭,囲い地」と同根である(EtymOnline)。
つまりこれは「ミッドヤード」的な造語感覚の語だった。
(ここでは各形態素は同源同義だが語全体は通例Middle-Earthと訳される)。
雷神Þór-「トール」の名も英語のThursday「木曜日」やthunder「雷」と共通の起源を持つ(EtymOnline)。この神名は慣用的にトールと写されることが多いが先頭子音はthunderのthの音になる(下宮・金子2005, p.22参照)。
北欧神話の原典
改めて北欧神話の一節、スノッリの『エッダ』からアールヴヘイムへの言及箇所を引用してみよう(『エッダ―古代北欧歌謡集』p.239も参照)。
古ノルド語の<þ>は英語でいえばthanksのth、<ð>はthatのthの音を表す。
わかりやすいものだけ挙げるが、kallaðr「呼ばれる」は英語のcalled、þar「そこに」はthere、byggvir「住む」はbuild「築く」、fólk「人々」はfolk「民俗の,人々」、Ljós-álfar「光の妖精たち」はlight-elfsと同根である。
staðr(複数形staðir)も英語のstead「場所」(古語)と同源で、他にラテン語起源の外来語state「国,状態」とも(接尾辞は違うが)語根の起源が共通している。
(出典はいずれもIEW; EtymOnline; Zoëga, 2010。EtymOnlineではcallはkalla「呼ぶ」由来の外来語と説明されているが、これはおそらく便宜的な説明で、IEWによれば本来語らしく、どうやら本来語としても存在したが語形面で古ノルド語のkallaから影響を受けたようだ)。
どことなく英語の親戚ということが窺えるのではないだろうか。
古ノルド語の末裔
そんな古ノルド語の子孫のひとつにアイスランド語がある。言語名は違うが平安日本語と現代日本語のような関係である。
古ノルド語ではアイスランドをÍsland「イースランド」という。ís-「氷」とland「島,土地」の複合語で、これらが英語のice「氷」やland「島」と同源だということはもはや言うまでもないだろう(EtymOnline, -ceの表記は語源とは関係がない。後にフランス語の綴字習慣の影響で生まれた)。
この国名は現代アイスランド語でも同じくÍslandと綴られ[istlant]「イストラント」のように発音される(Kristján, 2011, p.266)。[iːs(t)land]「イースランド」と読まれることもあるようだ(出典同上)。英語ではIcelandと訳される。
音韻対応
なぜこうしたことがわかるのだろうか?
それは近代に言語学という学問が誕生し、言語の歴史を悠久の過去にまで遡れるようになったからに他ならない。
手法は次回以降解説していくがひとつ簡単に触れておこう。
それは音韻対応の分析である(高津1999, 松本2006, マルティネ2003参照)。
次の表を見てほしい。
(出典はEtymOnline, 古英語形も挙げたいが今回は簡略化する)。
ここでは古ノルド語で語頭がh-, b-, st-なら英語でもh-, b-, st-が現れている。
そして古ノルド語の二重母音<ei> /ei/の位置には英語では<o> /oʊ/が現れる(< >は文字、/ /は発音を表す)。
つまりheim-とhomeは個別的に似ているのではない。
これはもっと一貫した、
といった対応関係の一環なのである(実際には一対一の対応になるとは限らないのでもう少し複雑になるが、今回はそこまで覚えなくてもいいだろう)。
この繋がりは様々な語に見て取れるので偶然とは考えられない。
他にも種々の要素(地理的関係や外来語の年代など)を分析する必要があるが、特にこの音韻対応こそ、偶然の一致を除外した上で両言語を同一起源と見なす根拠として重要性が高い。
言語世界への招待状
言語学とは言葉を研究する学問である。
しかし、基本的に語学(言葉の学習)そのものとは違う。
端的には言葉の仕組みを考察し、言語とは何か、どのようなものなのかを解き明かす学問といえるだろう。たとえば、
といった要素が言語学のトピックになる。
ただし語学も重要なことなので、このブログでは両方扱うことにしよう。
歴史・語学への関心からの購読も歓迎する。
言葉は多くの人にとって身近な存在である。
言語学はその中に新たな視点を導入する学問になる。
それを持てば言葉の世界にさらなる広がりが感じられることだろう。
よってこの記事をあなたに向けた、新たな言語世界への招待状としたい。
ここから先は
¥ 150
もしサポートをいただければさらに励みになります。人気が出たらいずれ本の企画なども行いたいです。より良い記事や言語研究のために頑張ります(≧∇≦*)