【格変化と前置詞】なぜラテン語の前置詞は名詞の特定の変化形と共に使われるのか?―前置詞の起源、役割、訳し方―
ラテン語の前置詞
前置詞の"格支配"
ラテン語には前置詞(Lat. praepositiō, Eng. preposition)という品詞がある。
主に名詞の前に置かれ、その文法的役割(特に他の語との関係)を明確にするための短い言葉で、英語でも馴染み深い存在である。
そのため対照分析も盛んで、ラテン語のadは英語のtoに、cumならwithにほぼ相当する――と説明されることも多い。
(単に前に置かれるだけではなく統語関係を示す要素のことなので、a cute girl「(1人の)可愛い女の子」の冠詞aや形容詞cuteなどは前置詞ではない)。
そんな前置詞といえば英語でも日本語話者の学習の壁として有名だが、ラテン語ではそれ以上に難しいという声が多い。
理由としてよく挙げられるのは俗に"前置詞の格支配"と呼ばれる現象の存在だろう。
これは「前置詞は名詞の特定の変化形と共に使わなければならない」というルールである。
前提として、ラテン語の名詞には格(文中での文法的役割)によって形が変わる格変化という仕組みがあり、terra「大地」の単数形であれば次のようなパターンを示す。
日本語なら「~を, ~の, ~に」などの格助詞(後置詞の一種)で表す要素をラテン語では(接尾辞に由来する)名詞自体の語形変化(曲用)で表すのである(ラテン語についてはVtuberアニマの各投稿も参照)。
(※追記: 3/10頃~3/22にかけてアニマが復帰予定で、この話への言及も予定されている)。
そしてラテン語の前置詞は常に名詞の特定の格と共に使われる。
ad「"to"」(方向)なら対格と、ab「"from"」(起点)なら奪格と併用されるため、前置詞句として"to the earth"や"from the earth"に当たる表現を作るには次のような形式にしなければならない。
意味上の中立形に当たる主格terraとの連携(*ad terra, *ab terra)は不可能である。なおラテン語にa/anやtheのような冠詞はない。
どの格と併用されるかは前置詞ごとに決まっており、ラテン語では対格と共起する語(ad, etc.)や奪格と共起する語(ab, etc.)が大半を占める。
これを俗に"前置詞の格支配"といい、このときad(+対格)のような例を対格支配、ab(+奪格)のような例を奪格支配の前置詞という。
(ここでは対格前置詞や奪格前置詞と呼ぶことにする)。
中にはin「"into, in"」(位置)のように対格とも奪格とも結びつく語もあり、その場合、伝統的には「対格との共起時には動的、奪格との共起時には静的な意味になる」と説明される。
terraと同じ変化のvīlla「別荘」との組み合わせであればよく次のように訳される(またad+対格は「~の方へ」、in+対格は「~の中へ」と訳し分けられることも多い)。
こうした「前置詞と特定の格の結びつき」はラテン語特有の現象ではなく、同じ印欧語族に限っても格変化と前置詞が共存する諸言語(ギリシャ語、ドイツ語、リトアニア語、ロシア語など)に広く見られる。
(ただし言語ごとに格の種類や文法上の細かな特徴が異なるため、具体的な格と前置詞の組み合わせには相違点もある)。
前置詞が格を変えるという幻想
だがなぜこの"格支配"のような現象が存在するのだろうか?
思うに、多くの人にとって最も身近なイメージは「前置詞には名詞を変化させる力があるから」というものかもしれない。
確かにad terramの意味は「大地へ」だと教われば、adを「~へ」、terramを「大地」と訳したくなるのも頷ける。
さらに「大地」が主格terraではなく対格terramになる理由を探せば、「大地を」と訳しにくい関係上、adの力による純粋な約束事と考えたくなるのも無理はない。
――しかし、実はこうした分析には多くの問題がある。
無論、言語学習はわかりやすさも重要なので、言語学的解釈の完成度とのバランスは永遠の課題である。
だが「前置詞が名詞の形を変える」という発想は起源的にも事実ではなく、実用的にも「なぜそうなるのか」が理解しにくい。
初心者にとっては二重に優しくない説明なのである。
ゆえに「なぜadがあるのに直後の直後の名詞を対格にする必要があるのか」といった疑問に答えられず、ラテン語の前置詞が「英語に比べて難しい」と感じられてしまうのも当然である。
では実際にはどう解釈すべきなのだろうか?
それを知るためにはadが「~へ」でterramが「大地」(なのだが謎の約束事で対格になっている)という考えから離れなければならない。
実はラテン語の前置詞は英語のそれとは性質がかなり違う。
その理由もこの記事を読めば明らかになるだろう。
またadやabのような要素は前置詞としては名詞を補佐する役割を持つが、動詞の前綴として合成動詞を作る機能なども併せ持っている(eō「行く」→ ad-eō「近づく」、ab-eō「去る」)。
なぜ同じ形態素にここまで多様な役割があるのだろうか?
これも前置詞と何らかの関係があるのだろうか?
ラテン語のような印欧語族の諸言語の歴史を紐解くと、前置詞が格組織に比べて遥かに新しい要素であることに気づく。
今回はそんな前置詞の起源や本当の役割に注目しながら体系的でわかりやすい解釈の方法を示していきたい。
私が重視するのは理由と明瞭さを両立させた解説である。
ラテン語やギリシャ語を学ぶ人の道標になることを願って筆を執りたい。
今回は総論を中心とするが、個別の前置詞の解説は私やアニマのラテン語や古代ギリシャ語のレッスンなどでも行っている。
関連記事と資料も参照してほしい。
なお言語学では英語のtoのような前置詞や日本語の「~に」のような後置詞(Lat. postpositiō, Eng. postpositon)など――つまり「名詞に隣接してその統語関係を示す機能語」を接置詞(Lat. adpositiō, Eng. adposition)と総称する。
ラテン語の接置詞が前置詞と呼ばれるのは一般に前に置かれるからだが、実は語や付加対象によっては後ろに置かれることもある。
印欧語のこうした機能語は最初から前置が基本と決まっていたわけではなく、同語族のサンスクリット語のように後置が一般的な言語も少なくない。
そのためここでも必要に応じて接置詞と呼ぶ。
(※続きは約25000文字だが出典表記と参考文献を除くと約14800文字)。
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