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消された日本建国史② ナゾの"上淀廃寺跡"

◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 前篇


 正体不明の天武天皇(百済系or唐の将軍)は「日本書紀と古事記」を編纂して、古代の建国史の何を隠したのか? 
 たぶん、「出雲」を中心とした邪馬台国(新羅、高句麗系)をウヤムヤにして、神話の世界へ葬った・・・

 邪馬台国時代・最強の勢力を誇った妻木晩田の王たちと一族が向かったのは、ふもとの福岡の里(米子市淀江町)?。
 その地の向山古墳群(5世紀後半~6世紀後半に築造された14基が国史跡に指定)の中の石馬谷古墳で出土した石馬は本州では唯一の発見例となっていて、当時も日本で最有力の勢力の存在がうかがわれますね。

 そして、7世紀建立の上淀廃寺跡からは、日本最古の壁画などが出土し、この飛鳥時代まで、その強大な勢力の存在がうかがわれてビックリ。
 大和政権樹立に何等かの功績? があったとも考えられますね。 

 発掘調査で次々に明らかになった上淀廃寺跡(天武天皇の飛鳥時代に建立)のスゴさ。
 法隆寺をしのぐ日本初というか他には類を見ない建築様式が目白押し百済様式の色濃いお寺ですね。
 ところが、その日本建国史の生き証人の大伽藍が、平安時代にナゾの全焼(焼き討ち?)で再建もなされず消滅し雑草のかなたへと。

 上淀廃寺跡 鳥取県米子市淀江町福岡にある飛鳥時代の寺院跡。あまりの貴重さに、即座に国の史跡に指定。

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 日本の建国から飛鳥時代までを記した「日本書記と古事記」は天武天皇が編纂し、日本の統治体制の根本を定め、専制君主として君臨しました。
 また、日本国王の称号を冠した初の国王ともいわれていますね。
 日本書記には、日本の国王が、百済王室で崩御と記されてますから、飛鳥時代までは日本と百済の王室はかなり近縁もしくは一体化?の可能性もありますね。
 上皇陛下も「昔は、百済から王妃をまねいたこともあった」とおっしゃられてますから、日本には百済の影響が絶大だったのかも。

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壁画の出土した金堂跡と3塔(南、中、北)は、日本史で最大級の発見とも。

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金堂跡から遺跡の最上段を見て

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3塔(南、中、北)の形態はほかにはなく日本で唯一?。

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◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 前篇


 駆け足での現地ルポでしたが、地元なのに、ココに1度しか見学にきたことがなく、しかもチラ見しただけ(汗)。
 あまりみるものがナイというのが正直な感想かも。
もっといろいろ復元しないと観光客を呼ぶには力不足ですが、上淀廃寺や妻木晩田遺跡の真の姿が判明すると困る先生方が大半ですから、二度と日の目は見ないでしょうね。

◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 前篇

◆この日本を作ったのは誰? 卑弥呼女王の石棺/幻の邪馬台国 後篇

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