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【映画館訪問記】 ロイヤル劇場・岐阜 編

映画よりも映画館が好きだと表明し続けているのに、全国各地の映画館をそこまで巡ったことがないことを、かなり長い間気にしていた。

名古屋に拠点を移した今、全国に足を伸ばしやすくはなった。しかも、まだ学生で、それなりに時間もある...。(お金はないけれども!)そういった思いがふつふつと湧き上がった秋のある日、とりあえず近隣の映画館から、巡っていこうと思ったのです。

映画というものは、半永久的なものである。もちろんフィルムとしては経年劣化などにより失うこともあるだろう。しかし、アーカイブとしては残っているものも多いし、デジタル化が進められることで、多くの作品が再び日の目を見る機会だってある。

しかし、映画館というものは、壊されてしまったら、跡形もなく無くなってしまう。映画館は芸術作品ではなく、物質的な建物であり、スクリーンや椅子や映写機という機械や製品の集合体である。映画館はただの、ただの建造物なのだ。しかも文化財になるくらい立派なものではないと思われているから、保存されることもない。興行者の判断により、映画館というものは、この世から消えて無くなってしまうのだ。残されたのは、そこに映画館があったという記憶と、少しの歴史であろう。

60年前の映画館にまつわる記憶を調べている私にとって、この状況はもどかしいものである。かつての映画作品にアクセスできるのに、かつての映画館を利用することはできない。当たり前のような事実を見直すと、私はせめても、現在稼働している映画館に訪れておかなくては!と思ってしまうのだ。

ある意味、それは任務となる。研究の道にいる者として、2021年の記憶を持つものとして、映画館史を語り継ぐものとして、大きな任務だ。そして、ある意味、自分探しの旅にもなるだろう。映画館というものが好きでたまらないのは何故か。本当に好きなのか。あわよくば映画館で生きていきたいという願いはどこまで通用するのか...。映画館を通して自分を透かし見る。そんなことができればいい。

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名古屋駅から電車で1時間もあれば着いてしまう。そんなところに、こんな場所があったなんて、正直驚いた。

岐阜駅からはバスが出ているけど、時間が合わずに歩いて向かう。15分ほど、飲み屋街や公園を抜けて、柳ヶ瀬商店街にたどり着く。この商店街はリノベーション事業も行なっているようで、若いオーナーによる洒落た店もいくつか見かけた。でも大体が古くからの店なんだろう。服屋や八百屋などがあり、休日ということもあり半分はシャッターがしまっていた。

私は時間の管理が不得意なところがあり、いつも上映時刻ギリギリになってしまうのだった。今回も同じく、15分の道を呑気に歩いていたら、上映5分前になっていた。そこから小走りして、3分前にやっとロイヤル劇場があるビルの前に着く。

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事前に調べておけばよかったが、ロイヤル劇場はこのビルの4階にあるようだ。3階まではエスカレーターがあるのに、3階から4階までは階段しかない。厚着をしてきたことを悔やみながら、息を切らして階段を登る。上映の1分前に到着。慌てて駆け込んできた若者に、窓口の女性は特に表情を変えずに、「600円です」とだけ言う。

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学割もシニア割もない、ここは皆600円で映画を見ることができるのだ。

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今日上映されていたのは、今井正の『あゝ声なき友』(1972年)だった。「昭和名作シネマ上映会」という文言からわかるように、この劇場で流す作品の多くが戦後〜20世紀の日本映画である。1週間で作品が変わるようで、上映作品にはそれなりのテーマもあるらしい。今回は、今井正の「反戦映画」特集で、来週は『海軍特別少年兵』の上映予定だ。12月には大島渚の特集や東宝特撮映画特集と題して、『さよならジュピター』がかかるらしい。


場内の様子を撮ることができなかったのが悔しい。私はこのタイプの映画館が大好きなのだ。シネスコが満足に映し出せるくらい大きなスクリーンに、高い天井、背もたれの低い椅子。傾斜が緩やかで、スクリーンは見上げる形になる。この様式は古い映画館のものだ。(厳密に言うと、映画の中で出てくる映画館は、皆この様式なのだ)

東京のミニシアターばかり行ってしまうと、小さな箱であることは当たり前のような感覚がある。名古屋の映画館も小さなところが多い。思いもしなかった。岐阜にこんな理想的かつ大好きな映画館があったなんて!

私の体験話に戻ると、息を切らしてチケットを購入した時に、すでに映写は始まってしまっていた。締められている扉を開け、暗闇へ。暗いシーンだったため、席が見えないほど周囲は闇に包まれた。ただわかるのは、人があまりにも少ないことだ。通路沿いにひとけはなく、中央あたりの通路側に適当に座った。

明るいシーンになり、周囲の様子が分かってくる。私の前方には一人、横のレーンに数人、そして後ろにはガサゴソ絶えない人がいる。おそらくほとんどが男性の中〜高年だろう。上映が終わり確認し、予想は大当たりだった。

中盤になり、ガサゴソおじさんが立ち上がる。席を移動するのかと思いきや、かなり大きめの扉の音がしたため、退場したようだ。ガサゴソ音が消え、ほっとする。映画も面白くなってきた。渥美清さんの真面目な演技は、それだけで感動的なものであろう。

と、映画に夢中になっていると、視線の左側に、別(?)の男性が入ってきた。左横レーンの前方に座ったその男性は、前の席に両足をかけた。私は思わず心の中でガッツポーズをする。「前の席に脚をかける」という行動は、昭和の場末の劇場あるあるなのだ。私が調べている雑誌や新聞記事に、そのような記述は多くある。この、ザ・昭和的映画鑑賞スタイルが、2021年の世に実践者がいること。なんて凄い、素晴らしいのだろう!

映画の感動的なサウンドトラックが、私のガッツポーズを彩る。加えて、その男性もガサゴソ始めた。ちなみに、ガサゴソの正体は、何かを食べていることがほとんどである。これはどんな映画館でも遭遇する可能性がある、非常に基礎的な事例の一つだ。

そんなこんなで、後半は何事も起こることなく、映画は進んでいき、良い形で収束した。「終」マークの前に、配役のクレジットが流れるタイプの作品だったのだが、案の定、終わりを待たずに立ち上がる人の気配がした。

上映が終わり、場内が明るくなった途端、世間話を始めるオジさん。彼らの声が軽快に響き渡り、スピーカーからは何故か「昭和枯れすすき」が流れ始める。上映中は気づかなかったが、反対側の右レーンには、比較的若めの、それも男女のカップルが座っていた。なんらかの事故で迷い込んでしまったか、それとも今井正が好きなのか、理由はよくわからない。楽しく鑑賞できたことを祈っている。

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上映前は全く目線に入らなかったロビーの様子を見る。杖をついたおじいちゃんが、訝しげに私のことを見てはいた。柳ヶ瀬商店街にはかつて多くの映画館があったようで、そのことを伝える掲示物や、映画看板の写真などが飾ってあった。

どこの劇場も、ロビーは狭いのが当たり前なのだ。シネコンとの違いは、スクリーン数や快適さだけではない。

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駄菓子やスナック菓子が売られているのも、もちろんシネコンとの違いだ。かつてはグリコの商品を扱っていたのだろう。年季を感じるバーナーである。ガサゴソの正体はこの袋なのかもしれないな、と妙に納得した。

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少し名残惜しい気持ちで退場。二本立てや三本立てだったら、もっと面白いだろうに。

でも、ここはおそらく、いつまでも居れるタイプの劇場だと思う。つまり、一度チケットを買って仕舞えば、何回も観れるというわけだ。私の前に座っていた人も、上映が終わって退場するそぶりがなかった。また、遅れて入ってきた人は次の回で見逃したところまでを観ることもできるだろう。

以前アルバイトをしていた東京の劇場は途中入場を禁じていた。(かなり当たり前となっているが...)しかし、とっても変わったお客がいて、その人は私にこう説明したのである。「私はね、映画を最後から観たいのよ。そして次の回で最初からまた観る。最後を知ってからじゃないと映画は楽しくない」私はそのおばさんの意見を聞いて、びっくりしてしまったものだ。

かつての映画館はいつどのタイミングでも入ることができた。厳密な時間区分すらされていない劇場もあっただろう。そのようななかで、おばさんは映画の楽しみ方を自己流に構築していったに違いない。私はそれでも、ルールですので...と説得することしかできなかった。でも心の中で、そんな楽しみを経験してみたいなと憧れたのである。

ロイヤル劇場では、それが可能だ。最後から観て、最初からもう一度観ることができるのだ。(と思う)

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