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ブラックパンサー/ワカンダフォーエバー

昨日、間違えて扉をくぐって、後退りして出てきた映画でしたが、やはり気になったので、今日あらためて見てきました。

この映画です。

このシリーズ、僕はまったく知りませんでしたが、かなりの人気シリーズのようで、評判も良さそうでしたし、たくさんの解説動画も上がっていました。

昨日、間違えて発券されたということで、なんらかのメッセージがあったのではないかと思ったわけです。滅多にないことですから、どんな映画だったのか、見ておきたいと思ったのです。

しかしながら正直なところ、はっきりとこれだというメッセージは受け取れませんでした。

ただなんとも言えない感覚が残っているので、これがなんなのか見終わってからずっと考えています。


この映画を見て、とにかくメインの登場人物が、みな黒人かインディオだったということが、とても印象に残りました。白人はほとんど悪者という設定なんですね。新鮮でした。

考えてみたら、ブラックパンサーという題名だから、当然と言えば当然なのかも知れません。

Wikipediaを見ると、ブラックパンサー党は「1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織。」と書いてあります。

当然、そのブラックパンサー党が下敷きにはあるでしょうから、ここでは黒人がヒーローであって当然ということになるのでしょう。

だから、黒人の国であるワカンダが主たる舞台であり、そこにヒーローがいたということのようです。ヒーロー物の映画で黒人が主役というのは、やはり今までにはなかったものだと思います。

白人主体の国際世界が、ワカンダにのみ産出する希少資源を巡ってチャチャを入れ、ワカンダはそれを一蹴するというところから始まります。

フランスとアメリカの代表が出てきましたが、それらが今の国際社会の代表であるわけです。フランスはアフリカ大陸においてたくさんの植民地を持っていましたから、黒人の独立国家が毅然とフランス代表をやり込めるという図式は、人によってはある種の爽快感を感じるのかも知れません。

そのワカンダに対して、もうひとつの特筆すべき国が海底に栄えているタロカンという国です。

それはスペイン人がアメリカ大陸に到達する少し前に、海に逃れ、海中で繁栄してきた種族ですから、彼らはインディオの末裔です。彼らも海の中で、ワカンダと同じく希少資源を手に入れて、それによって莫大なエネルギーを背景に発展してきたという事のようです。その国のトップに立つのがククルカンで、これは言わずもがなですが、マヤ文明で神とあがめられた存在と同じ名前です。

その希少資源が欲しいということで、アメリカ、フランスをはじめとする国際諸国が動き始め、その動きによって、タロカンもワカンダも対応せざるを得なくなっていきます。

そして、そのワカンダとタロカンが戦うことになりますが、最終的には戦いをやめ、手を結びます。

そのプロセスの中で、やたらと出てくるのは復讐という言葉でした。復讐からは何も産まれないということがテーマであるかのように、何度も何度も復習という言葉が出てきます。

そして、ワカンダとタロカンも直前になって復讐することをやめて、つながるということを選択します。

これは、もともと戦う必要がなかった黒人とインディオですから、彼らが手を結ぶことで浮かんでくるのは、白人主体の世界との関係においてこれから何か起こりそうだと言うことになります。しかし、作品の方向性から考えていくならば、やがて黒人は白人を許すということになるのかも知れません。戦って戦って、勝利の目前で相手を許しひとつになるというような展開なのかなと思いました。


この流れを見ていて、思い出したのは、昔、日本が国際連盟において、有色人種に対する差別を撤廃するということを、国際社会に対して提案し、賛成多数で可決されたものの、議長国であったアメリカがそれを覆して、全会一致でないからという理由でなかったことにされてしまったということを思い出しました。

これですね。↓

そういう意味では、ワカンダはあの当時の日本の立ち位置とも似ています。

日本はその後アメリカと戦争し、今やその属国というような位置になってしまいましたが、ワカンダはどのような展開になっていくのでしょうか? 黒人の独立と尊厳は守られるのか、あるいは新しい世界秩序を構築していく真のヒーローとなれるのか、何かそういうことがテーマとしてあるのだなということを思います。

今の日本という国には、そのような誇りと尊厳という感覚がなくなってしまったような気がして、残念だとも思います。

しかし、どうでしょうねえ。流れる時間の中で、いろんな経験をしながら、いろんな立場を経験しながら、培われてくる感性というものがあるだろうとも思いますから、黒人が苦難の歴史を経て、その魂を成長させてきたように、日本人の中にも何かが生まれてきていても不思議ではないと思います。

願わくば、人間がみな、人種も肌の色も関係なく、それぞれの個性を尊重し合いながら、みなの誇りと尊厳が守られるような国際社会を構築していけたらと思います。

もっとも、この世界が人種の坩堝と言われるように、多くの得がたい経験をするための場でありますから、すべての事象は起こるべくして起こっていると言えるでしょう。そこから何が生まれてくるのか、見ていたいと思います。



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