今日はこちらの記事を読んで、ふっと思ったことを書いておきます。
「日本人はおかしい」というオシムさんの言葉はサッカーの中だけのことではないかも知れませんね。そう考えるとなかなかおもしろい話だと思いました。
「右に動け」と言われて右に動くことと、自分で見て状況を判断して右に動くということには、大きな違いがあります。
前者は権威を他者にゆだねており、後者は自己に対する権威者としての主体を持っています。これはとても大事なところですね。
前者から、後者のようになるためには、かなりのバージョンアップが必要で、そのための方法論を持っていたから、オシムさんは名監督として今でも慕われるのだと思います。
これからの時代はそのような、自分で見て、考えて、状況判断して、行動を決めるというようなことが求められることが多くなるのかも知れません。まさに、オシムさん的な練習メニューが展開されているのが今の時代というようなところもあるのかも知れません。
自立、自律というのは、自尊につながりますね。なんか、今さながら、スリーインワンやキネシオロジーが目指したのもそういうことだったなあと思います。
自分で決められないから、人に頼る、権威者に頼る、信頼するセラピストに頼る、ドクターに頼る、占い師に頼る、先生に頼る、システムに頼る、、、そういうところからいかに脱却するか、卒業するかということが、まず大事なことであると思います。
そういったスペシャリストを情報提供者として利用することはいいと思います。あくまでも主体者は自分であり、それらの情報を吟味して、自分で考えるわけです。そういう思考方法を身につけるということが、オシム流の練習トレーニングの中にあったんでしょうね。
年末来、何度か書いていた「位置の交換」は主体と客体の交換と言うことですが、まずは上の問題をクリアしておかないと、入っていけない世界でもあります。
そこをクリアしておかないで、主客を反転させると隷属という問題が起こると思われますし、本当に肝と言ってもいいくらいに大事なのが、自立であり、自律なんだと思います。それをヌーソロジー的な言葉で表現すると内面を整えるという事になるでしょう。
日本人のモラルの高さは、日本語という特殊な言語によって培われた精神性と関係あると思うのですが、その結果として、オシムさんに指摘されるようなおかしな状況に陥ってしまったとも言えそうです。
なかなかに、日本語って、諸刃の剣だと思いますが、しかしそれは「位置の交換」という視点から見れば、やはり有利な点だと言えるでしょう。感覚として日本人は知ってるからこそ、型示し的にいろいろと見せられてきたのだとも思うんですよね。
おもしろい時代だと思います。いろいろあるかも知れませんが、だいじょうぶ、楽しく乗り切りましょう。(o^^o)
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