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タロットパスワーク
愚者と魔術師
2年前のタロットパスワークで出てきた、この時のイメージは、とても意味のあるものだったと、今になって思います。
これは2020年の7月22日にFacebookに投稿したものです。
昨夜から今日の午前中にかけて、愚者と魔術師の世界にお邪魔してきました。😆...
Posted by 大西 淳 on Tuesday, July 21, 2020
内容はこちら
昨夜から今日の午前中にかけて、愚者と魔術師の世界にお邪魔してきました。😆
なかなかハードな面もあり、宇宙の果てというか、無限遠点というか、そういう意味では1982年のインドでいきなり放り込まれたところがまさに宇宙の崖っぷちであったということをさらに確認した様なところはありました。
そのあとはテーブルに楽器やら、絵の具やら、さまざまなグッズをならべて、感覚的に見習い魔術師としてのキャリアを始めたんだということをざざざっともう一度見てきたという感じです。
そういう意味では今もまた新たな次元での愚者ですし、魔術師をやっているともいえますね。1982年から始まった怒濤の流れが、なんだかんだと紆余曲折を経て、再びスタートラインに今立っているという感じがします。
あのときは大学やめましたし、今回は田んぼをやめるわけです。そしてまた再び何かが始まろうとしているという感じ。
あのときの吸い込まれそうになって、恐怖に駈られた暗闇は今ではなんなくクリアできそうです。今なら喜色満面で飛び込めそうです。それだけ成長したというところはあるのでしょうね。なんだかそんなことを思いながら、愚者、魔術師との再会を喜んだという感じですかねえ。
というわけでたぶん今夜は女教皇の部屋にお邪魔したいと思っています。何が出てくるか、とても楽しみです。
この1982年から始めた魔術師見習いの試みはやがてバリ島につながりました。そこで出会った踊りに夢中になり、それこそ全身全霊、踊りに打ち込み始めたのが1983年でした。
結局、踊りの探求自体は20年以上続けた上で、田んぼを始めたところで、一旦終了し、田んぼでの12年間はリセットのための原点回帰だったかも知れません。
そういうタイムスパンで捉えると、治療の仕事やキネシオロジーの仕事は、僕の中では踊りとつながっていたのだという気がします。
そして田んぼで過ごした12年間は一区切りをつけたという感じなのかなと思います。先程上にあげた2年前と、こちらの5年前のFacebookに書いた投稿を読みながら、思いました。
こちらは5年前に書いたもの
こちらは5年前の今日の投稿。シェアしてたアメバのブログのリンクが切れてたので、僕が書いた文章だけ、コピペします。 この中で、僕にとってのバリの意味がつながっていった感じかな。整理されてきた感じ。 ちなみにこの時の高次元波動体験会は石井数...
Posted by 大西 淳 on Thursday, July 21, 2022
2017年7月22日の投稿 抜粋
この前の日曜日、こちらの体験会に参加させていただきました。ヘミシンクのような感覚で、なんらかのイメージに触れられたらいいなと思って、参加しましたが、今回は思いがけず、バリに引き戻されたような、そしてなぜバリに縁があったのか、もう一度見つめなおすきっかけを貰ったような気もします。
バリは陰と陽が極端で、美しい半面、ドロドロも強い土地で、いろんなものが濃い感じがします。濃い分、より深く自己を見つめさせられるし、その人なりに深い体験をする場所だという気がします。そういう点でも日本ととても似ている要素を持っていますね。
泉がイメージで出てきたことが今も印象に残っています。泉がわく場所には大きな木があり、神が宿り、祠があったりします。そこは湧き出す場所であり、次元を転換する場所であり。。。
ガムランの響きは空気を変えますし、振動は細胞を震わせて、チャクラを回しますし、そのリズムがより繊細な空間に自分自身が身を置いていることに気づかせてくれるのだという気がしています。
この体験会ではクリスタルボウルがまさにガムランのように響き、めくるめくイメージの世界に身を置くことができました。それは美しい世界で、この世界が周波数でできているということを感じさせてくれるようなイメージでした。
なぜか傘のイメージが出てきます。バリでは神様ごとの場合、必ず傘(パユン)が飾られていますが、それはやがてヒンドゥーの寺院を形作ってもいきました。
今思い出しましたが、21歳の時、インドのデカン高原をバスで走っていた時に見た風景と、バリの寺院があり、泉がある風景が重なって見えていたような気がします。デカン高原には古い遺跡が数多く打ち捨てられており、その一つ一つが瞑想するサドゥ―の姿に見えたのでした。しかし、今回はひからびた遺跡ではなく、泉が一人一人の人の姿と重なって見えてきます。
人は泉であり、次元を転換するポータルであり、この宇宙の中心点であり、始点であり、重心でもある。そして実は泉はひとつしかない。。。 その泉を軸として、グレンとひっくり返る視野を持つことができたら、それで終了。。。
バラナシのガンガの淵で死にかけた時に見た深い暗い穴は、まさにその泉に通じる穴であったのだろうかと、このことがまたつながってきたのが不思議な感じがします。
日月神示を読むようになったときに、グレンという言葉がとても心に残りましたが、もしかしたら、あの時、僕がインドで体験したようなことが、これからまたすべての人が体験することになるのかもしれないなどと思ったりもします。このあたりは言葉には仕切れないところがあって、なかなかしっくりと整理しきれていないところではありますが、たぶんすこしずつそういうことのための準備をしてきているともいえるかもしれません。
ここ数日、田んぼに行くと、田んぼのエネルギーがとても濃くて、身体がわくわくします。こういったことはたぶん本来の人間のありようってこんな感じなんだよといって、教えてもらってるような気もします。なんといっていいのか、わかりませんが、自分自身が泉であることに気づき、ほとばしるエネルギーを流し始めることを、たくさんの人が思い出して、それを許すようになっていくのだろうという気がしています。田んぼはそのためのすごい近道なのかもしれないなと思ったりもしつつ。。。
バリも田んぼがいっぱいあります。バリで好きだった匂いとか、景色とか、実際、今田んぼを始めてからわかったのですが、それは田んぼの匂いであり、景色であったのですね。そのことがわかってから、特にバリの踊りを踊る必要を感じなくなりました。結局田んぼに戻ってきたのかということが、今の自分にとっては大事なことだったのかもしれません。
バリの踊りに求めた狂おしいほどの情熱もまた田んぼによって昇華されていったような気もします。
思えば、そのあたりの僕の選択の動機は、ほとんどが母を救いたいという思いから発したものだったと、今では思います。
踊りも治療もキネシオロジーも、そのために有効なものであり、そこを自分が突破しないと助けられないという思いから、必死に取り組んだというようなところがあったかも知れないと思います。それでいて彼女の重たさには向き合い切れず、逃げたというようなやましさも残っていました。
母との天王星と太陽を介したミューチュアルレセプションは母にとっても特別なものだったでしょうし、僕にとっても特別な意味を持っていたと思います。
ミューチュアル・レセプションについてはこちらの記事で書いているのでよかったらこちらも読んでみてください。
母が亡くなったのが、2007年で、自然農に心が向かったのは、その後からですから、このタイミングにはきっと意味があるのだと思います。母を救えなかったという思いもあり、母から逃げたという思いもあり、自然農に向き合って、田畑の作業に没頭することで、どこか罪滅ぼしをしようとしていたのかも知れません。
自然農、自然栽培と田畑に関わったのは約12年ちょっと、ということになりますが、その12年の間に見えないところでのリセット作業は進んでいたのかも知れません。
2020年に、田んぼをやめるということになり、振り出しに戻って、また新しい何かの準備を始めるというのが、この時のタロットパスワークで見たイメージでした。
西洋占星術
1982年から始めた魔術師見習いの試みはやがてバリ島の踊りに結実していきましたが、2020年から始めたそれは、西洋占星術にターゲットが向いていますし、今のところとても手応えを感じています。
手応えがあるものには必ず印があります。それは魂に触れるようなハプニングであり、共時性であり、それはある種の霊的体験と言ってもいいのかも知れません。
それが起こったときには、自分が正しい方向を向いていて、ある段階に達したということを示してくれているのだと思います。
2020年からの2年間は本当に贅沢な時間でした。今も贅沢に全身全霊、占星術を学ぶことに時間を割けていますし、今度新しく何かを始めるときには、今までとは違うスタンスで動くようになるのだと思います。
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