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ホロスコープから見た父と母のこと

先日、ミカミ•ポーラさんの占星術中級講座の6回目をスカイプで受けました。アスペクトやレセプションの説明の中で、参加者のホロスコープを使ってリーディングする場面があったのですが、その中で、僕のネイタルホロスコープについても、少し触れていただきました。

その話の中で、僕の誕生したあたりの父がどういう人だったか、母はどういう人だったか、ホロスコープからどのように読み取れるかということを話してくださいました。

講座中にはすぐにピンとこないところがあったのですが、少し時間を置いて、また講座の内容をおさらいしていたときに、とても先生のリーディングが的確であったということを感じ、じわじわ驚きがやってきました。とても感動もしましたので、今日はそのことを書いておこうと思います。

僕が生まれた時

僕のホロスコープを見て、ポーラさんが描写された父の姿が、少し時間を置いてから、つながってきた感じがします。たしかに父は、オンリーワンで、普通とは違う世界を見ていた人だったかも知れません。

僕が生まれた時の父はどこにも勤めたりはしていなかったはずですが、当時としては目の付け所が良くて、センスも良く、おしゃれな人でしたし、お金儲けも上手な人だったと思います。

独立して呉服屋を始めた頃だと思うのですが、商売人というよりは、投資家としての方が本業だったのかも知れません。ずっと若い時から株に投資し始め、そこそこの稼ぎがあったようです。毎日、短波放送の株式市況を聞いている父の姿が思い浮かびます。

姫路で3台しかないという高級なカメラを買って、アマチュアカメラマンとしても活躍し、たくさんの賞を取っていました。その関係で僕の赤ん坊時代の写真がたくさん残っています。

大家族から核家族へ

僕が生まれた家は大家族で、祖父母を始め、叔父叔母も同居していて、そんな中に生まれてきた僕は、たくさんの人に可愛がられたようです。その当時は面倒見てくれる人もたくさんいたので、母も子育てしやすかったのだと思います。

しかし、3年後、妹が生まれた時に、父が家を買い、祖父母の家を出て、核家族となりました。新しい家で、子供も二人に増えた上での、いきなりのワンオペ育児となり、母は大変だっただろうと思います。父と母の喧嘩が多くなったのは、たぶんその頃からかも知れません。

M/R(ミューチュアル•レセプション)

母の太陽は水瓶座にあり、僕の天王星-太陽とはオポジションで、M/Rの関係になっています。(M/Rはミューチュアル•レセプションの略。お互いがお互いを高め合うような関係性)

母の太陽はノーアスペクトでしたから、彼女にとって、僕は特別な存在と言ってもいいようなところがあったのだと思います。

彼女の父に対する不満、愚痴を僕はずっと聞かされて育ったようなところがあって、父とは事あるごとに対立するようになっていったという経緯があります。

両親とも亡くなり

母が15年前に亡くなり、父も4年ほど前に亡くなりました。父の葬式では僕が喪主を務めました。その中でたくさんの方から、僕の知らなかった父の話を聞きました。

彼が外に見せていた顔は、僕や妹が見てきた顔とは違っていて、驚きました。たくさんの人を助けてあげたというような側面もあったようで、とても複雑な気持ちになりました。

今日は思いがけず、父と母のことを思い出したので、昔の写真なんかも引っ張り出して見てみましたが、思っていた以上に楽しかったことがたくさんあったことを思い出し、少し泣きました。

このタイミングでこのようなことを思い出すというのは何か大事なことだからなんだろうと思います。

土星が見ている

ふと気づきましたが、ここしばらくの間、トランジットの土星が水瓶座におり、ずっと僕のネイタル太陽、天王星とはオポジションの関係でした。その間、僕はずっと土星に睨まれてる感じがしていました。

土星からは、しっかりと今までの人生を総括しなさいと言われてるように感じていたのですが、そう言えば、この土星がいる度数が、まさに母の太陽のいたところなのでした。

このタイミングでどうしてもやりたいと思って、腹を括って学び始めた占星術でしたが、そのプロセスの中で、今日はとても大事なメッセージを受け取った感じがしています。

星を読むというのはすごいことだなと思います。今日はあらためてそう思いました。がんばって勉強して、多くの方の星を読むお手伝いができるようになりたいと思います。

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