月欠損問題とドラゴンヘッド
昨日、「月は欠損」というテーマに関しての、僕なりの結論に辿り着き、すっきりしました。
最後まで追求した結果
曖昧にせずに、しっかりと追求した結果、辿り着いた境地みたいなものがあって、これはこれからの僕にとって、とても大きな基盤となるものだという感覚があります。
なんかおかしいという違和感を抱えたまま、この問題を先送りしていたら、きっと見えてこない世界があったと思うのです。
こういう、しっかりと最後まで追求する姿勢というのは、やはり蠍座アセンダントからくるものなのかもしれません。そして、これが月のサインである牡牛座とは反対側のサインであるということも、意味があるのかも知れません。
さらに、このアセンダントに対して、トランジットの土星はスクエアですし、天王星はオポジションの位置にありますから、大事なことに関しては、とことん追求しないと気が済まないエネルギーが僕の中に起こっているのかも知れません。
ドラゴンヘッド
それに加えて、先ほど気がついたことを書いておきます。僕のネイタルのドラゴンヘッドが乙女座15.76°なのですが、昨日の19:36に、太陽がそこにコンジャンクトしていました。このタイミングというのも、きっと意味のあることだと思ったので、これを書き始めました。
乙女座16°のサビアンシンボルは「オランウータン」です。
16°という度数は、15°で一度完成した乙女座的な資質に対して、反対側の魚座からのエネルギーが流れ込み、変容を促されたところと言われています。
魚座のエネルギーは、乙女座の実利、効率、完璧な理性というようなものとは違って、スピ的で、アバウトで、直観的で、乙女座的には受け入れがたい要素を含んでいます。
16°ではその魚座のエネルギーに触れて、オランウータン的な野生の勘みたいなものを、乙女座の理性の中に入れ込もうとするきっかけになるところということが言えるでしょう。
マドモアゼル愛さんの涙
昨日見た、マドモアゼル愛さんが泣きながら話しておられる動画に通じるような事であるのかも知れないとも思いました。
理性的に考えていったら、月はどうしても悪魔的だし、欠損だし、ひどい存在ということになるという論理展開をされていたところに、いきなり、それでも月が存在する意味があるはずだと気づいたところから、もっと深いところにある月の存在の意味に、突然気づかれたのだと思います。そして、そこに気づかれたからこそ、あの涙になったのだろうと思うのですね。
その動画を見ながら、愛さんの辿っておられるプロセスもまた尊重すべきものであるということを思いますし、月の本質的な意味という所に言及された以上、僕が言いたいことはただ言葉としての「欠損」をやめてほしいというだけでよいという事になりました。それが昨日の「月は欠損 その4」で書いたことです。
月を巡っての考察
月に関しての一連の考察は、乙女座と魚座の統合というようなことに通じていると思います。それは僕にとっても興味のある問題でありましたし、そのことを言及していくのに、愛さんの月に関する見解を追いかけることは、必然と言ってもいいことだったという気がします。
僕にとって、このドラゴンヘッドは10室にあります。だから、ドラゴンヘッドをやるということは、外から見える場所に、灯りを灯すということでもあるのです。
そのために始めたnoteですが、その中でも、この「月は欠損」に関しての一連の記事は意味のあるものであったと自分では自負しています。最初の「月は欠損 その1」はあれよあれよという間に、僕が書いたnote記事の中で、最もビュー数が多くなり、今でもまだ読まれているようです。その2~その4も他の記事に比べて、速いペースでビューが伸びているようで、「月は欠損」といテーマに対して、多くの人が興味を持っておられるのを感じました。
そんな中に、僕みたいなものが持論を展開しても、意味はないかも知れないという思いもありましたが、いくつかの反応やら、僕自身の内側での変化ということもあり、大きな意味があったと思います。
シンクロニシティ
昨日はそのドラゴンヘッドにトランジットの太陽が合となった日だったのですね。こういうのはなんといいますか、やはりシンクロニシティということを感じます。
理性と直観が融合して、辿り着いた境地みたいなものと言っていいのかも知れません。
「オランウータン」というサビアンの言葉と、それが僕のドラゴンヘッドであると言うことの意味を今かみしめながら、本能的に、直観的に書いてきたことではあったけれど、ちゃんと必要なことを必要なタイミングでやってこれているということを確認したような気がします。
最後に、以前書いたドラゴンヘッドとオランウータンの記事のリンクも貼っておきます。良かったら、読んでみてください。