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月は欠損について その4

マドモアゼル愛さんの、この「月がわかった」という動画を見ました。

この中で、マドモアゼル愛さん自身がたどり着いた結論というようなことを話しておられましたが、この内容には僕も同意します。

月の役割として、とても深い意味があるということに気がついたのだと泣きながら話しておられました。

そこなんですよね。月の意味はほんと深いのです。だから、表面だけ見て、月を大事にしようというのも違うし、逆に月は欠損ということも違っているということを僕は言いたかったんですよね。

月に対する認識は同じだけれど、僕の懸念は「欠損」という言葉を使っているから起こっている誤解が多いことに対してのものです。

ほんとのほんとのところまで行くならば、月が欠損であるわけがないのです。だから、言葉は変えた方が良いという提案はそのまま継続したいと思います。

でも、一連の考察を通して、大事なことを学んでいるということを感じます。愛さん自身もそうなんでしょうね。このアイデアを言葉にして、考察に考察を重ねてようやく辿り着いた世界があったということなのでしょう。

欠損という言葉はその考察の途上で使っていた言葉なのだろうと思います。そこを通った上で、この動画で話されてる理解にたどり着いたということですね。

そうなんです。それならばこそ、欠損ではなく、未熟とか、不足とか、言葉を変えて表現してもらえたら、もっと多くの人に受け入れられると思うというのが、ぼくの立ち位置ですね。

ようやく、スッキリしてきました。これで、このシリーズはとりあえず終わりかなと思います。読んでくださってありがとうございます。

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