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「質量の起源」―質量とは愛だった…‼

今日は、こちらの質量について半田さんが語っておられる動画を見ながら、メモを取りつつ、自分考えも入れながら書いていこうと思います。

質量とは何なのか?
物理学者もよくわかっていない。
物質粒子の世界ではカイラリティの対称性の破れが起こったときに質量が生まれると言われている
左巻きと右巻きの等化がなされたとき
ヒッグス粒子が介在している

質量って、もともと何なの?
スピンがわからないから、質量もわからない。

E=mc^2
アインシュタインのエネルギーと質量の等価式
(E:エネルギー、m:質量、c:光速度)

しかし、実際に宇宙で観察できる現象として、
E←mc^2はあるけど、E→mc^2はないのではないか。

質量からエネルギーを取り出すことはできるけれど、エネルギーから物質を作り出すことはできないということ。


じゃあ、mはどこから来たのか?という疑問が解消されていない。

これはエントロピー増大の法則とも似ている。宇宙ではあらゆるところで、このエントロピー増大の法則に則って動いている。ただ、ごく局所的に生命のいるところでは、エントロピーの法則に逆らって、宇宙に秩序を作ろうとしている。

生命体は無秩序ではあり得ない。生命があるところでのみ、負のエントロピー(ネゲントロピー)の世界がある。

質量を作り出した力と、生命を作り出した力は、似ているのではないかと考える。

普通は物質から生命が生まれたことを語るけれど、本当は物質ができたところから、生命を語るべきではないかとヌーソロジーは考える。物質の誕生が生命であると考えた方がいいのではないか、なぜならば、質量の期限がわからないから。

質量を作ったものが生命。

そう考えるとすっきりする。ネゲントロピーの世界は質量を作ることとも関係している。

エントロピーの法則とは、「宇宙を放っておくと無秩序な方向に向かう」という法則。塩とごまを瓶に入れると最初は分離しているけれど、瓶を振ると塩とごまが混ざって決して自然には分離しないというもの。

オコツトに聞いてみたら、エントロピーの法則とは、「人間の意識の方向性」と答えが返ってきた。

今は人間の内面が先手を取ってるから、外面は後手で動くしかない。だから今はエントロピーの方が大きくなっている。

ネゲントロピーはその反映として働いているだけである。夜眠るときはネゲントロピーの世界。だから人間には眠りが必要。昼間は逆方向に変換しているから。

人間は内面世界で生きると、必ず死ぬ。無秩序な方向で動くしかないから。それが人間の意識の状態を表わしていると言ってるのが、オコツト情報である。

質量を生み出すと言うことは、秩序立てて行く力とイメージがかぶる。質量というのは、モノの内部に感じている。内部性、内包性の中に質量の本質がある。

奥行きに始まる虚の世界に本質がある。光のスピンとかを創ってくるところだから、時間というモノが収縮して持続になっていると言う世界。私たち自身が質量の起源であるということ。外面の意識の土台が質量の起源である。

それがカイラル対称性が破られるという事は、自己の持続と他者の持続が等化されて一体化することである。それが質量の起源である。となると、質量とは「愛」のことだということになる。愛の力が宇宙を、生命を創っているという話につながっている。

しかし、今僕たちはその愛の力でせっかく創られた質量を、どんどん外の物の怪の世界で消費している。愛の力を、愛なき世界で、エネルギーとして消費していくという話。それが人間の世界である。

質量とは差異である。時空の世界と時間のない世界。そこに絶対的な差異がある。それをヒッグス場が浮かび上がらせる。

質量構造の本質とは何かというと、素粒子構造が発展していく段階で作られていく、対称性の破れ、つまり自己側と他者側が等化していく、持続構造の力、それが質量の大元にあって、ヒッグス場によって浮かび上がらせられるのが質量である。

だから、この世界に現われたすべての物質は、自己と他者のコミュニオン(心の繋がり、心の一体性)が作っているということが言える。

そのことを意識に顕在化して、その空間を作っていきましょうと言ってるのがヌーソロジーだと思ってください。

モノの内部性について、人間はまだ何も知らないと言うこと。それはモノの内部に入る方向が間違っているからであるということ。

対象としてモノの内部に入ろうとしているのが科学です。モノの内部に入って分析していると言うこと。

でも、ヌーソロジーが言っているのは、奥行きという空間を通して、直接モノの内部になろうと言っているわけです。

モノの内部になると言うことは、見てるモノと見られてるモノの区別が全くない世界に入ると言うこと。それがヌーソロジーの世界イメージということ。

そして、愛とは思考のことであるということですね。思考を通してカタチを見い出すということ。「位置の交換」を通して、その位置を発見したいと思います。


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