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04. 沈殿した記憶

息子のために、怒鳴らないまともな子育て法を身につけたい…とは言っても、私の自由時間は通勤の往復30分だけだった。今のようにSNSで情報収集するような暇はなく、集中して勉強するような時間も気力もない。毎日の自由時間を、子育て関連本の読書に当てていた。

息子が3歳を過ぎ、夫が息子に暴力をふるうことも起きてきた。夫も自己嫌悪していただろうと思う。子どもを大切に育てたいのに、私も夫も激しい怒りを抑えられない。「もう私達だけでは無理だ」と思い立ち、私が動き出したのは2017年だった。

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1)子育て家庭支援センター[2017年1月]
2)保健所 母子相談教室[2017年2月]
3)花クリニック精神神経科 初診[2017年2月〜2019年11月]
4)花クリニック 心理カウンセリング[2017年3〜4月]
5)日本子育て心理カウンセラー協会 相談[2017年4〜10月]
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子育て家庭支援センターは地域の児童相談所にも当たる。もともと初対面が苦手な私だったが、いつからか息子の話をしようとする時は、どんな場所でも涙が出て話ができなかった。これは何の涙なのか。子どもの心を傷つけている私が泣くなんておかしい、私みたいな親をダメ母と呼ぶのだろう…。自分を責めながら、恥を忍んで話した。だが、受けたアドバイスはありきたりのもので、保健所の母子相談教室への連絡を勧められた。この時、息子本人に会ってもらった訳ではなかったし、見ても3歳ではまだ判断できないことがあったのだろう、と今は思う。

一月後、予約していた保健所を訪れると、待合室で地域担当の保健士さんが迎えてくれた。困りごとを一通り聞いた保健士さんは、私の家族についての質問を始めた。両親は健在か、兄弟はいるか、交流はあるか…。

質問に答えながら、私の頭には?が浮かんでいた。産後の私は、記憶がかなり欠落していた。好きだった歌の歌詞も思い出せず、子どもの頃の苦い思い出も、体いっぱいに淀んでいた父への憎悪も、不思議なほどうっすらとしか残っていなかった。「息子の話はしないの? なんで親姉妹との今の関係なんか聞かれるのだろう…?」

ぽかんとしたまま保健士さんとの話を終え、母子相談教室に入った。年配の女性と、私と同年代の女性保健士さんがいらした。年配の女性が静かな声で質問を始めた。その方は心理士さんだったのだろう。

最初の質問がそれだったかは覚えていないが、「お父さんはどんな人でした?」と問われた。人柄を表す言葉は見つからなかったが、覚えていた手近なエピソードを話し始めた。「私が7歳くらいの頃、私の前で偽名を使ってどこかに電話をしたり、借金を作っては家族で住まいを追われて…」と苦笑いしながら口に出すと、心理士さんは「まあ、それは怖かったわね」と返してくれた。「怖い」という言葉が、とても新鮮に私の耳に響いた。

引き続き、その場で思い出せる限りの記憶をいくつか語った。最後に心理士さんが優しくアドバイスしてくれた。「きっとあなたの中に“根深いもの”があるのね。よく眠れないなら、睡眠薬を使ってみたらどう? とっても疲れてらっしゃるように見えるもの。眠ると取れる疲れもあるから…。お薬は抵抗があるかもしれないけれど、まずはご自分を大切にしてね」

父の隣であの電話を聞いていた子どもの私は、「怖かった」のだろうか? いくら自問自答しても、子どもの頃の気持ちは掴めなかった。父に怒りを感じた多くの場面は、ほとんど思い出せなかった。“根深いもの”とは何なのだろう? この面談を経て、やっとはっきり自覚を持った。私の子どもへの虐待が「連鎖」であることも、自分がACであることも。

数日後に、メンタルクリニックで睡眠導入剤を処方してもらった。日中の生活への影響も多少はあったが、息子が隣で暴れていても眠ることができた。同時に、“根深いもの”を探りたかった。そのものや、その周辺を理解できたら、怒りが抑えられるようになるかもしれない。クリニックで受けられる心理カウンセリングを始めたが、親子関係には話が及ばず、しっくりこなかったため3回で中断した。

私と息子だけでなく、私の親のことまで相談できるカウンセリングとして、ネットで探し当てたのが日本子育て心理カウンセラー協会だった。ここではとても大事な気づきをもらった。子どもの頃から今に至る話を聞いてもらった後日、このカウンセラーにこう言われたのだ。「諸悪の根源は父親だとあなたは思っているだろうけど、あなたの母親もヒドいね」母に嫌悪感をあらわにした言い方だった。

私は少し憤りを感じた。確かに私も、母は好きではない。でも、そこまで言われるほどだろうか? 父と同罪とでも言いたげな口調。そこまで悪いとは思わないんだけど…。

「子どもを信じ、肯定する」理念に共感し、ここには半年ほど通った。母親としてのあるべき姿も知ることができた。子どもを連れて行くと、「子どもは外での振る舞いが本来の姿。この子は大丈夫。自分の希望も言えるし、心配はない。母親のあなたがおかしいのだ」と言われた。当時は真に受けるしかなかった。

だが今となっては、ここの指導通りにして、母子関係が更に悪化した部分もあったと思う。理想の母親像、親子関係の理屈は正論だったが、安念ながら私にも彼らにも、過剰適応などの知識や発達障害を見抜く眼はほとんどなかったのだった。

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