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05. 衝動性優位

年小の秋、息子が起こした問題で、保育園は息子から目を離さなくなった。息子のやんちゃは日常茶飯事だったが、他の保護者から強いクレームがあったのだ。

「お母さんがしっかり怒らないからよ」と私も注意を受けた。素直に受け止めるつもりだったが、不覚に涙がぼろぼろこぼれた。「一緒にいる時は怒っていないことはないくらいに、ずっと怒り続けている。目の前の息子を可愛いと思えないし、息子からは拒絶しか感じない。」涙しながら話す私に、園長は「発達相談」を勧めた。だが、「活動的で日常動作に特に心配ない息子」と「発達相談」が、私の中では具体的に結びつかなかった。

それから数ヶ月後、園を離れて集った親子ワークショップの場で、息子は相変わらずだった。他児が注意されればやめるイタズラも、息子だけは次から次へと止まらない。スタッフから他児ならOKと言われることが、息子だけはNGと言われてしまう。一瞬なぜ?と思うのだけれど、理由は分かる気がした。うちの子だけが強烈に危なっかしさを感じさせるのだ。私の胸に、日頃叱られ続けている息子が感じている悲しみや怒りが生まれてきた。「うちの子は、ただ活発というだけではない…」。ぼんやりしていた感覚がはっきりし始め、私は発達相談センターに予約を取ることにした。

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1)発達相談センター 面談&検査(WPPSI)、医師面談[2018年4月]
2)花クリニック児童精神科 初診&プレイセラピー開始[2018年6月]
3)こころぎふ臨床心理センター 集会 初参加[2018年6月〜]
4)同センター 宿泊ワークショップ 参加[2018年9月]
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息子の検査結果の説明を、後日心理士から聞いた。発達の凹凸という言葉も考え方も、そこで初めて知った。いつの頃からか、息子は自分の理想と現実にギャップを感じており、葛藤を抱えて生きている、ということだった。小さな体で既に生きづらさを抱えている…私は大きなショックを受けた。次いで「お母さんがイメージする子どもの理想を、息子さんに求め過ぎではないですか?」と言われた。答えに詰まった。そうなのだろうか、理想を押し付けているつもりはないのに…?

医師面談も行われた。家庭や園での困りごとを説明すると、「お母さん大変だねえ」と医師には大笑いされた。笑い事ではないのだけれど、私も笑うしかなかった。医師に勧められるまま、児童精神科での毎週のプレイセラピーを始めた。

継続して相談できる場所を得た安心もつかの間、数ヶ月後には「プレイセラピーの後の園での行動が激しく、手に負えない」と、園から連絡があった。私には何の知識もなく、医師や心理士の方針に従うしかなかったが、家庭でも苦慮していた。登園前の行き渋りはますます激しく長くなり、わめく、殴る、蹴る、家財を破壊する…夫や私が止めようとしてもエスカレートするばかりだった。この状況は発達相談を始める以前から2年ほど続いており、私を苦しめ続けていた。

長谷川博一先生の著書に出会ったのはこの年の始め…ちょうど発達相談の申し込みを迷っていた時期だった。「この人なら息子の相談ができる、私を分かってくれる!」と感じた。だけど、岐阜に通うとなったらカウンセリング費用も交通費も莫大な金額になる。それに著名な先生が、私みたいなちっぽけな、毒親をもったと言ってもたいした虐待を受けていない人間の話なんて、聞いてくれるのだろうか…。

この頃私は、気味の悪い夢を見ないために、睡眠薬が必須になっていた。うっかり睡眠薬を飲み忘れると、悪夢を見るのだ。モラハラ上司に叱責される夢、刃物で自分を傷つけたり、他人に殺されたり、他人に殺されたりする夢…私にとってはどれも気味の悪い悪夢だった。

半年の逡巡の後、思い切って集会「発達障害とアダルトチルドレンを支える会」に参加した。発達障害のことは分からないけれど、ACとして参加しようと思った。当日は先生や他の参加者から、宿泊ワークショップへの参加を勧められた。この集会には一度きりの参加のつもりだったのに、それから毎月、行かずにはいられない気持ちになった。集会で知ったことは「発達障害の人がACになりやすい」こと、「自分がらくになることが第一。家族や周りの人のためにも」という、先生の理念だった。※

秋の宿泊ワークショップには、嫌がる夫と息子を連れ、3人で参加した。私は自分の心を見つめるワークに期待があり、夫にも自分自信を見つめて欲しいと考えていた。息子にとっては、野山でのびのびと遊ぶ絶好の機会になるだろうと思った。宿に着いて一休みしていると、子ども組ではしゃいでいる息子の様子を見て来た先生が、真剣な表情で言った。「あの子はお母さん、大変だね…! 今は興奮もしてるんだろうけど…診断はまだ出ないの?」先生のストレートな言葉は私に突き刺さったが、不思議と嫌な気はしなかった。正直嬉しかったし、ホッとしたのだ。子どもを見て間もなくその特性を察知し、私の苦労を認めてくれたのは、長谷川先生が初めてだったのだから。

宿泊ワークの後、2ヶ月かかって「衝動性が高い」「ADHD」の診断が医師からおりた。精神科は積極的に診断名を告げないものらしく、この診断もプレイセラピーに業を煮やした私がクリニックに願い出て聞いたものだった。正確に言うと、医師の口から診断名は告げられていない。クリニック独自のADHDチェックリストを提出した後で「薬を飲んでもいいかも。これを読んでみて」とADHD薬・コンサータのパンフレットを渡されただけだった。診断にも薬にも必要十分な説明がない。難しい息子の育ちを一緒に支えてもらう医師としては、頼れないことは明らかだった。残念ながらこのクリニックでも、発達障害への理解と対応は不十分だった。いや、息子の特性に合わなかっただけなのかもしれないのだが。

※長谷川博一先生、こころぎふ臨床心理センターについては10. 長谷川博一先生…どんな人?にも感想を書いています。

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