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映画「生きて、生きて、生きろ。」

ドキュメンタリー映画「生きて、生きて、生きろ。」(監督/島田陽磨) @ポレポレ東中野
「まだ」13年。東日本大震災と原発事故の影響により、被災地福島では、鬱やPTSD、サバイバーズギルトといった心の病が多発していた。相馬市のメンタルクリニックで院長を務める蟻塚亮二は、心の不調を訴える患者を日々診察している。こころのケアセンターの米倉一磨も自宅訪問を行い、被災者のサポートに取り組んでいる。津波で夫を亡くしたことで遅発性PTSDに苦しむ女性や、避難先で息子が自死したことをきっかけに、アルコール・薬物依存症を患う男性。十三年経った今もなお、彼ら/彼女らの傷は深く、時間薬は何も解決してくれない。
蟻塚と米倉は、その声に耳を傾ける。たとえ相手が「死にたい」と洩らしても、受け容れる。「そんなこと言っちゃダメだよ」とは否定しない。ただ、聴いて受け容れるのだ。
本作品で映し出されるのは、被災者と彼ら/彼女らを支える医療従事者の姿だけではない。
かつて沖縄のメンタルクリニックにも従事していた蟻塚は、現地の高齢者が今もなお沖縄戦のPTSDに苦しんでいることを明かす。沖縄戦の残した傷は、当事者のみならず、その子供世代にも刻みつけられていた。このことは、福島における原発問題とも大きく関わっている。そもそも、なぜ福島県浜通りに原子力発電所が建設されたのか? 端的に述べると、この一帯が「辺鄙」だったために他ならないが、「原子力明るい未来のエネルギー」という物語は、原発事故により瓦解する。米軍基地と原子力発電所。その背後に存在するのは、紛れもなくアメリカである。ここでは、被災地/被災者のみならず、その背後にある様々な事象を浮き彫りにする。歴史や政治=大きな物語のなかで、個々人の声や痛みは埋もれてしまう。〈私〉の存在はかき消される。
蟻塚や米倉は、そうした声や沈黙に、そっと寄り添い耳を傾ける。本作品終盤、アルコール依存症の治療を受けながら一時は生死が危ぶまれた男性が、徐々に回復し、米倉らにジンギスカン鍋を振る舞う場面があった。今では車の免許を取得するべく、アルコールも断っているという。少しずつでも、みんな前に進んでいるのだ。
個人的な話になるが、私は母方の実家が原発事故で被災し、祖母が震災関連死として認定された。東日本大震災のとき中学生だった私は、東京で生活していたため、実際に震災を見ていない。よって被災者/当事者ではないが、この十三年間、心の奥底には喪失感が沈殿していた。被災者/当事者ではない以上、この痛みを語る資格はないと思ってきた。今回のドキュメンタリーで、〈傷〉が語られ、受容される過程を見ながら、ずっと涙が止まらなかった。震災以来、一度も帰っていない、あの田舎の風景が懐かしい、というのも一つだが、私自身の〈傷〉に改めて気付いたからだ。震災と祖母の死によって、私はずっと傷ついていたのだと、ようやく自分自身に向き合うことができた。
福島や祖母のことを思うと、やはり心は痛むけれど、この作品を観終えたあとは、晴れやかな気持ちになった。
原発事故の問題はこれからもずっと続いていくし、傷は完治しないだろう。傷とともに、それでもなお生きていく。問い続け、誰かとともに語り合いながら。力強さを感じさせるドキュメンタリーだった。

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