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自分にとっての当たり前が誰かにとっての特別だったりする

先日、職場近くの風景を写真に収めている人がいた。

私にとっては日常の、なんてことない風景。
でもきっと、その人にとったら特別な風景だったのだろう。


地下アイドルとして活動していた時代、ライブハウスは私達アイドルにとって日常であった。

身体に馴染んだ衣装や照明に照らされて星のようにキラキラと輝く塵、4番の番号が付いたマイクとストレートに伸ばした黒い髪。

照明の光の中で歌う私には、紛れもなくそこが私の居場所だった。
当たり前に存在する、なんでもない日常。

でも先日、写真を撮っている人を見てふと思った。
『私にとって日常だったあの景色・あの空間が、誰かにとっては特別で日常への活力となっていたのかもしれない』


高校時代の私はジャニーズアイドルのファン、いわゆるジャニヲタだった。

年に一度、夏から秋にかけて行われるコンサートツアーを楽しみに日常を生きていた。コンサートに足を運んだその日から、次のコンサートツアーの日まで頑張って生きよう、と心に誓ったものだ。

アイドル時代にはこんな私にも、ファンだと言ってくれる人がいた。
私が生きる活力としていたジャニーズとは規模も違ければ、知名度も違う。
それでもきっと、ファンの人にとって私のライブというものが明日からも当たり前に繰り返される日常を生きていく活力になっていたのだと思う。

近すぎて気付かない、当たり前すぎて考えもしない、そんな日常を過ごしているが、なんでもない今日も誰かにとっては生きたかった今日なのかもしれない。

だから私は、『誰かにとって特別』な『当たり前の日常』を今日も生きていく。

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