長男が生まれた日のこと

前回の投稿からものすごく時間が空いてしまいました。
その間に入籍してたり、妊娠してたり、家を買ったり、結構いろんなライフイベントが起きたわけですが、いろんなことをすっ飛ばして「長男が生まれた日のこと」を書きます。

 あとで読み返したらいい資料になるかなーと思って、陣痛がきた時から一時間おきにメモを取っていました。このテキストは、そのメモを元に書き起こしています。極力、具体的な数字や妻の言葉をそのまま使う(「」で書いているのが妻の発言です)、ルポ形式でやってみようと思います。誰かの何かの参考になれば幸いです。
では、どうぞ。


3月18日。ロッシーニの下こと私が育休に入って5日目。そして、予定日当日、測ったように前駆陣痛がきました。

朝7時。
私が目をさますと、ロッシーニの上こと妻が言います。
「昨夜から動きまくっててよく眠れなかった。しかも痛い…気がする。」
ーどんな痛み?
「生理痛の重いやつ、って感じ。」
ーずっと?
「ちょっと痛んで、すぐおさまる。それの繰り返し。それが朝5時くらいから。」

本で読んでいた通りの状態。このまま治まっちゃうかもしれないけど、一応病院に行く準備をすることにこの時点で妻と話し合って決めました。準備といっても妻はもうそのためのカバンを作っていて、それの内容を確認して車に積むだけでした。「陣痛バッグ」と「入院バッグ」をそれぞれ。
 (中身については今度妻に詳しく書いてもらいましょう)

8時。
なんとなく心の準備をしたところで、「おしるし」もきました。
トイレに入った妻がわざわざ呼んで見せてくれました。ほんのりピンクなおしるし。これはもう、きたでしょ。予定日ぴったりにくるとは、律儀な子だね。

9時。
いつも通り朝ごはんをいただきます。時折「あー、痛いかもー。」と笑う妻。この時点だと多分間隔は10分以上空いていたかな。
「このまま入院になっちゃうとマズいから」ということで、妻の運営するECサイトの仕事をサクサクと片付けていきます。仕事のことを考えられるくらい余裕でした。

10時。
痛みは定期的に続いています。引き続きお仕事中の妻。
一通り片付いたところで、「夫婦二人暮しも今日が最後かも」ということになり、ツーショット写真を撮りまくることにします。妻の大きいお腹も今のうちに記録。
一日のスケジュールも決めました。仕事のメールの返信。EC商品の発送の準備。郵便局。税務署で確定申告の手続き。外食ランチ。全部片付いたらウィンドウショッピングしながらお散歩して陣痛を促し、間隔が狭くなったら、病院に行く。だいたいこんな作戦で。

ーまぁ、体調次第で。陣痛が強くなったり破水したりしたらすぐ予定変更で病院に行くからね。
「よろしくです〜。」

11時。
陣痛バッグと入院バッグを車に積み込み、いよいよ家を出ます。
助手席でゆったりとリクライニングさせながら、ナビをしてくれる妻。妻の実家に来ているので私は道がわからず、妻の案内がないと走れませんが、妻の道案内に不安はありません。時折「あーーイタタタ……よし、治まった」など独り言は言うものの、普通におしゃべりできるし私をナビする余裕もあります。食欲もあり、お昼ご飯を何にするか活発な議論が続きます。
一方で眠気もあるらしく、「眠い、お腹すいた、痛い」という非常に原始的な感覚を始終報告してくれました。

12時。
税務署に着きましたが、肝心の書類を家に忘れたことに気づきました。
 (この件は特に陣痛とは関係のないミステイクです)
お腹が空いていたので、一旦お昼ご飯を優先することにしました。このあと控えているかもしれない体力勝負の長丁場に備え、スタミナのつくものが食べたいという妻。様々な候補の中から選ばれたのは、最近駅ビルの飲食店街にできた博多モツ鍋のお店でした。ニンニクとニラがたっぷり。白米もモリモリ。サイドメニューの鳥の唐揚げも追加オーダーしちゃったりなんかして、たっぷりがっつりいただきました。
食べながらも当然陣痛は来ているわけで、「うまーい」と「いたーい」を繰り返す妻。この時の痛みの間隔は、ほぼ正確に10分おきで十数秒の痛みというところでした。

13時。
ちょうどお鍋を食べ終わりました。

ー締めの雑炊をします?
「いえ、デザートを探します。」

満腹感のせいか、若干陣痛が引いた気がする、と妻は言います。せっかくなので、もう少しお散歩をして陣痛を促してみることにしました。

14時。
近くの大型複合商業施設(イ○ン)をお散歩します。デザートが食べられるカフェを探しましたが、結局ドーナツをテイクアウトして、一旦帰宅することにしました。

15時。
帰宅して、妻はドーナツを食べながら仕事のメール。私はちょっとウトウト。痛みはいい感じに続いており、引いてしまう様子はありませんでした。

16時。
気を取り直して、改めて税務署に書類を出しに行きます。この時点で痛みの間隔は狭まって来ており、多少の波はあるものの5分おきくらいになっていました。妻の感覚としては、
「5分おきになったら病院に、って教わってたけど、なんか結構耐えられる痛みというか、弱い気がするんだよね…」というものだったらしく。

ーまぁ、診察してもらえれば安心だから、行きますか。
「5分おきにはなってるしね。でも、『まだだから』って帰されたら面倒だなー」
ーこのまま入院しちゃえたらいいね。

17時。
病院に到着。診察の結果は、『子宮口の開き具合が5cmに達しているため、このまま入院とする』。診察窓口に行った時点では妻の顔が全然元気そうだったため、助産師さんも「入院はまだ先かね?」と思ったそうですが、確認したら驚くほど進んでいた、と。結果的にベストなタイミングでの来院だったそうです。

「ねぇねぇ、診察の時にさ、検尿のカップ渡されたんだけどさ。トイレ行って、便座に座って、普通に出しちゃってさ。出してる途中でカップ持ってることを思い出して慌てたよね。」
ー迂闊な奴め。
「もう5cm開いてるけど、その割にはけろっとしてる感じ。痛みに強いのかな、私。」
ー鈍感なのかもしれんよ。

18時。
入院中お世話になる個室に通され、パジャマに着替える妻。病院食もこのタイミングからいただけました。が、もちろん妻の分しか出ないので、私はコンビニ弁当を調達して来ました。しっかり食べきって、助産師さんからの指示を待ちます。

19時。
分娩室に移動し、再度診察。子宮口の開き具合は先ほどと変わらず5cmですが、痛みの間隔が正確に7分おきになっていました。胎児の心音と母体の陣痛をモニターする機械をセットして、分娩台の上に寝そべる妻。分娩室にはテレビやCDプレイヤー、付き添い者用のソファがあり、かなりリラックスできました。
妻と一緒にテレビを見ながら、7分間隔の痛みに耐える時間が続きます。

ここからの経過は、メモがあんまり残っていません。妻の痛みのケアに奔走していたからです。19時台、20時台は痛みは強いものの間隔が空いているので、痛まない間は結構余裕です。冗談を言い合えるくらい。
21時台になると痛みがどんどん強く、間隔も短くなっていました。さっきまでは痛みから気をそらすために笑わせていたのですが、この時には「余計痛くなるから笑わせないで!」と叱られてしまいます。このタイミングから、私もおどけるのをやめました。
痛まない姿勢を探そうとするのですが、どんな姿勢をとっても痛い。腰をさするとか、押すとか、テニスボールで圧迫するとか、おやつを食べるとか、水分補給をするとか、いろんな「いきみ逃し」に関する対処法を事前に聞いて陣痛バッグに用意していたわけですが、結局のところ何も役には立ちませんでした。痛んでいる間はその痛みに集中してしまって、他のことを考える余裕がなくなってしまうからです。あれこれ試す暇もありませんでした。

22時。
痛みのせいか吐き気を催していました。耐えかねて一回嘔吐してしまっています。痛みの間隔は約2分おき。
「まだですかーーー!」と叫びながら痛みに耐える妻が痛々しかったです。
22時半に診察してもらったところ、子宮口全開となりました。ここからは「いきみ逃し」ではなく、「陣痛に合わせていきむ」ことに切り替えて行きます。
色々姿勢を変えてみたり。
卵膜を切って人為的に破水させてみたり。
尿をカテーテルで排泄させて膀胱を小さくさせてみたり。
この攻防が一時間ほど続きました。

23時45分。
いきんでもいきんでも、頭が出て来ません。ドクターの判断により、吸引を行うことになりました。大きな聴診器のような器具を胎児の頭に吸い付かせ、いきむのと同時に機械で吸い上げて引っ張ります。助産師さんは妻のお腹を心臓マッサージのように圧迫し、上から押し出していきます。
私は妻に声をかけ続ける仕事。いきんでいる間は手を握り、休んでいる時は抱きしめてリラックスさせるように努めます。妻曰く、「とても安心できた」とのこと。いきむのにもテクニックがあるらしく、助産師さんによれば妻は飲み込みが早く、正しい姿勢でいきむコツを早く掴んでいたそうです。
ーよーし、いいよ。上手にできてる。
ーなんでもすぐ覚えるねー。
ーりらーっくす。りらーっくす。
ーもう髪の毛が見えて来てる。あとちょっとだよ。
ー次はもう少し、一回を長くいきんでみようか。
ー赤ちゃんも頑張ってるよ。チームで頑張ろう。
こんなことを囁き続けていました。

そして、日をまたいで、0時10分。
ようやく顔が出て来ました。骨盤内での回旋が足りなかったらしく、通常顔を母体の背中側に向けて出てくるところ、うちの子はお腹側を向いていたため、出て来た瞬間に目が合いました。産声も出て来た瞬間にあげてくれました。髪はフサフサ。背中にはちょっとたてがみもあるように見えます。
3648gの大きな男の子でした。出てこれないわけだ。

胎盤が出てくるところまで見届けたら、私は分娩室を退室して待合にいるように指示されました。会陰の縫合や赤ちゃんの清拭など、後処理をしている間は父親は待たされるようです。
この間に親族・友人たちに報告の連絡を入れました。

25時。
分娩室に入る許可が出て、子供と妻に会いに行きました。
妻はとても元気。
「出て来た瞬間に痛みとか全部なくなって、目もぱっちり頭もスッキリ。ペカーー!って感じ。」
と、瞳を爛々とさせて語ります。赤ちゃんはスヤスヤと大人しくしていました。吸引機の跡が前頭部にあってちょっと痛々しいですが、それ以外はとっても綺麗。どうやらうちの子はくっきり奥二重のようです。
私の特徴と妻の特徴と、どちらも半々くらい現れていて、どれだけ見ても飽きない気がしました。
助産師さんが写真を撮ってくれたり。妻と感想を言い合ったり。
頭ははっきりしているものの、下半身はズタボロでまともに歩けない妻を抱えて病室に連れて行ったり。
全てを終えて、私が病院を後にしたのは午前3時過ぎでした。
車で30分の妻の実家に帰宅し、就寝したのが4時。

妻が陣痛を感じた朝5時から19時間。分娩室に入ってから5時間の戦いでした。
初産にしては軽いお産だったのかな、と思います。
予習が良かったので一つ一つの状況を慌てずに受け止めることができました。これは妻に感謝です。しっかり段取りを組んで、それを私が遂行できるようにレクチャーしてくれていましたから。
事前に育休に入れていたので、一部始終ついていてあげられたのも良かったと思います。ここは会社と上司に感謝です。

これから約2ヶ月の育休期間で、妻と足並みを揃えて育児の勉強と、持続可能な生活基盤を作り上げる必要があります。
そういった話も、できるだけレポートして行きたいと考えています。

ようこそ、わが子よ。生まれてきてくれてありがとう。
一緒に、我々らしい家族を作っていこう。
よろしくね。


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