先生とのであい

中間型松果体実質腫瘍(PPTID)って名前が分かったあと、病院①ではガンマナイフという治療をすすめられた。放射線の一種だけど、ガンマナイフを勧めるのは治療法として一番良いからではなくて、現時点でできる治療として効果のある可能性のあるものがそれしかなかったから。救急車で運ばれたさきの病院①は全国の脳外科病院の中でも歴史も患者数も多い有名な病院だった(らしい)。それでも担当医の先生は私の腫瘍の説明をするとき、この病院では過去50年で数例しか扱ったことがない。そして予後がとても悪いため治療法が確立していない。

まとめるとこんな感じだった。
・とても希少な腫瘍。
・自分はPPTIDの患者を診たことがない。
・脳外科医を長くやっていても診たことない人や、病名すらしらない人のほうが多分多い。
・故に調べてもほとんど情報がなく、わからないことが多い。
・この病院で治療をするなら、まずは効果が不明でも可能性のあるガンマナイフを提案する。
という説明をしてくれた。

多分先生なりにいろんなこと調べたりしてくれたと思うけど、全部があいまいで、丁寧に説明はしてくれているのに私は自分がどうしたらいいのか全然わからなかった。ガンマナイフも副作用や後遺症のリスクがもちろんある。それだけのことをして効果があるのかもわからないってことだった。でもこの病院では手術はリスクが高すぎてできない。この手術ができる医師がほかにいるのかもわからない。必要であれば紹介状を出すので、セカンドオピニオンでほかの医師の話を聞くことをすする、とのことだった。

初めにこれを聞いた後は、とにかく珍しい病気なのだということしかわからなかった。頭は痛くなくなったけど、このままにしておくわけにもいかないから、リスクを承知でガンマナイフをするしかないだろうとぼんやり思っていた。正直、選べる選択肢が少なすぎて、しかもお医者さんもよくわかんない病気ですって言われたら、当事者だけどただの素人には到底処理できるものじゃなかった。提示される可能性に縋りつくしかないよな、なんてよく考えもせずその時は思っていた。今後どうするか決めて連絡するように言われた。

どうしたらいいかわからなかったけど、とりあえず病気について調べてみた。これが、きっと私と澤村先生とのつながりのはじまり。後にも先にもこれほど自分のこと褒めたいと思ったことない。この時調べたから、澤村先生と最終的につながることができて、いま私は生きている。澤村先生に会えたから私は生きている。

調べてみたら、数が少ないってことを本当に実感した。まず言葉自体が検索してもほとんどヒットしない、出てくるものも論文とかで、しかも古くて、正直自分が参考にできるものはほとんどなかった。そんな中でこの病気についてとても詳しくわかりやすく、しかも似たような言葉で検索すると必ず行きつくHPがあった。それが、澤村先生のHPだった。先生のHPだけが、唯一私の病気についてとても詳しく説明してくれていて、自分に今何が起こっているのか初めて概要をつかみ始めた。

今思えば、そういう面ではこの病気であったことはラッキーだったのかもしれないと思う。患者さんがたくさんいたり、症例がたくさんあったり、治療法も先生も選択肢がたくさんあったらもっと悩むことになった。自分が一番信用できるお医者さんに出会えなかったかもしれない。調べれば調べるほどいろんな情報が出てくるような病気だったら、私はとてもじゃないけど考えること放棄していたように思う。

それに比べて私の病気は選択肢が本当に少なかった。未知の部分がほとんどだから、治療も診られる先生も本当に限られていた。最終的には、「今のリスクを回避しとりあえず放射線を当てて、様子見ながら将来リのスク背負って生きる」か、「ハイリスクを承知で今手術して、リスクを排除し生きる」の2択まで絞られた。

HPからメールを送れるところがあって、返信には時間がかかるだろうな、でもとりあえず送ってみようと思って、手元にある自分の病理検査の結果を、つたない文章ながら自分のわかる範囲で送った。そしたら驚いたことに、すぐに先生から直接電話が来た。
「こんにちは、メール見たよ、手術したのはいつ?」
先生は本当に話やすくて、人見知りで人と話すのが苦手な私の心にすんなり入ってきた。状況を話しているときに、あなたは何か専門の勉強をしているの?と聞かれた。質問の意図がすぐにはわからなくて、とりあえず理系の大学に通っていましたって言ったら、メールの文章は必要なことがきっちり書いてあって状況が分かりやすかった、専門の勉強している人なのかと思ったよって予想もしない方向から褒められた。私が笑ってお礼を言うと先生も笑って、とりあえず先生の病院に明日おいで、この時間なら見てあげられるから。とすぐに予約を入れてくれた。

澤村先生はすべてにおいて、本当に行動の早い先生。病院①ではとにかくいろんなことにとても時間がかかったからすごく驚いた。電話もそう。まさかメールしたその日のうちに、ほんとに数時間も待たないうちに直接先生から電話もらうなんて、思いもしなくて本当にびっくりした。

 多分、先生の声を初めて聴いたあの時から、会話をしたあの瞬間から私は澤村先生のことを信頼したのだと思う。まずおいでって優しく、軽やかで、安心する先生の声を聴いた時から。私のつたないメールから、私の助けての声を見つけてくれた。先生は自分のこと、先生っていう。小児もやる先生だから、診察の時も小さい子がわかるように話してくれる、そして先生は、私を見てくれる。どんなに厳しい現実でも、難しい話でも、必ず私のことを見て私に話してくれる。ほかの人がいても、たとえ両親がいても。まずは必ず私に話してくれる。先生は両親でも病気でもなく、私を見てくれる。それは私にとって、この先生に命を預けようって、この先生なら信用できるって思わせてくれた大きな理由だったなって今もとても強く思う。

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