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「もっと」の使い方を考える
自分は欲深い人間だな、と思う。そうありたくないと思うのに、いろんな場面で欲は出てくる。
職場でも、私生活でも、いろんな形で「もっと」の気持ちは出てくる。もっといろんな作業をできるようにならなきゃ。もっと早く対応できるようにしなきゃ。もっと時間を無駄にしないようにしなきゃ。もっと、もっと、頑張らなきゃ。
ゆっくりとしか動けないからなのか、私はこうやっていつも自分を焦らせてしまう。でも実際は思うような速度で動いたり成長したりはできなくて、そのギャップに苦しむ。心と体の速度が合わなくなっていく。
この間本を読んでいて感じた。私は「もっと」の使い方が違うんだろうな。この言葉は、自分をこんなに焦らせるものではない。私の使い方が反対なのだ。
「もっと」は、何と一緒に使うかによって肯定にも否定にもなれる。私はいつも自分を否定するために使ってしまうけど、自分を肯定する使い方をすればもう少し柔らかい言葉になる。
「もっと幸せになれますように」と言えば、今も幸せだけど、より幸せになることを望む言葉になる。「もっと大切にできますように」と言えば、今も大切にしているけど、これからはより大切にし続けようと思える。
こうやって肯定的にとらえれば、「もっと頑張れますように」は「今も頑張っているけど、より頑張れますように」になる。まだ苦しさは残るけど、今の自分も頑張っていると思えれば少しラクになる。
何かを欲しいと思う気持ちが悪いわけじゃない。でも欲しいということは、足りないと感じているということだ。いつも足りない足りないと思いながら生きることは、私には少し苦しい。
「もっと」と欲するものが、本当に自分に必要なものなのか。今の自分に、本当に足りていないのか。焦らずに、考えて、「もっと」の気持ちを扱いたいと思う。
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